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パンとワインのマルセリーノ 

「汚れなき悪戯」を見てきました。

1955年のスペイン映画。
白黒です。
非常に面白かったです。

有名な映画なのでしょうが、以下にあらすじを書きます。

フランスとの戦争で廃墟と化したスペインのとある村の貴族の館に、3人の修道僧が訪れ、館を修道院として再建する。
館を修復し、活動を続て行くうちに、やがて、修道僧の数は12人となる。
ある朝、修道院の門前に生まれたばかりの赤ん坊が捨てられている。
その日から、マルセリーノと名付けられた男の子と、12人の修道僧との共同生活が始ります。
マルセリーノは、修道僧12人の手で5歳の元気ないたずら好きな男の子に成長する。
ある日、マルセリーノは絶対に行ってはならないと止められている修道院の2階に侵入し、そこに、キリストの磔刑像を発見するのであった。

ちょうどこの映画の始まる前に大澤真幸/橋爪大三郎/大貫隆/高橋源一郎の「やっぱり不思議なキリスト教」という本を読んでいたこともあり、この映画が大変興味深く感じました。

「やっぱり不思議なキリスト教」は、「不思議なキリスト教」という大澤真幸と橋爪大三郎の講談社現代新書のスピンオフ的な本(左右社という出版社から出ている大澤真幸の「THINKING O」というシリーズの最新作)。

その中で、大貫隆が言っていた「贖罪」についての話が面白かったのでここに紹介すると、
贖罪論についてはその解釈に大きく分けて2つのものがある。
一つは通常、贖罪論というときに使われる場合の解釈。モーセの律法(ユダヤ教の律法)について、人々が犯してしまった罪に対して、その罪を購うために動物が生贄としてささげられるように、キリストが生贄となり処刑されることでその罪を購ったのであるとする解釈。
もうひとつは、ユダヤ律法の専門家(「ユダヤ教のゴリゴリのファンダメンタリスト」)から回心したパウロの考え方。引用すると以下の通りです。

–パウロは、イエスは木に架けられて殺されたという言い方をします。十字架は木でできていますからそのように言うわけです。モーセの律法の条文に、木に架けられたものは呪われているという言葉があります。パウロは法律の専門家ですからその条文を知っていました。生前のイエスには会ったことがありませんが、その死を聞いて、イエスは神に呪われた男だ、と受け取ります。
(略)
(回心したパウロは)条文を犯すことよりももっと根源的な罪、そのような条文を持って人間の罪を計ろうとすることこそが罪だと気がついたのではないかと思います。熱心なファリサイ派として、そうして犯してしまった罪を購おうとして、ついにそれはできなかった。そのときに、神が行動を起こしてくださった。じぶんの独り子を、律法によって呪われている十字架によって捨ててまで、律法を廃棄してくださった。(略)ご自分の一人子を律法によって呪われた死によって渡してまで、自分のほうにきてくださった。

ユダヤ律法という非常に厳しいものが一方にあり、それが人々の日常的な生活をかたどり律している。人々の生活の一つ一つを規律することにより、ユダヤ教の律法はある種世俗的なものになっている。
そこに、キリストとその磔刑というおよそ律法が支配する世界の文法では説明のつかないことがらが起こり、ユダヤ律法という「閉塞感を打破」する存在としてのキリストであり贖罪である(かなり乱暴なまとめでごめんなさい)。

「汚れなき悪戯」の修道院は、もちろんキリスト教の修道院であり、通常の生活を営むところとは別の層に存在するものです。しかし、12人の人間が共同生活をする中で、やはりある種の世俗的とも言うべきルール・慣習のようなものができています。
そこに、マルセリーノというイレギュラーな存在が現れ、イレギュラーである故に(神に仕えるはずの修道僧にさえ、その行動原理がつかめない故に)、彼はキリストに一番近い存在となる。キリストに一番近い存在のマルセリーノは、通常とは違う仕方で世界とのかかわりを持ち、通常の側、世俗の側の人間にとっては不条理とも思えるであろうその結末が奇跡となる。

そんな風に思って、一人おもしろがっていました。

キリスト教に造詣が深ければ、「この12人の修道僧というのは12使徒をあらわしているのか」とか「うむ、最初の3人の修道僧は東方の3賢者なのか」とかなんとかもっと詳しくこの映画のキリスト教的な解釈を繰り広げて読む人を辟易させていたところでしょうが、やんぬるかな、凱風舎文化活動見学部長をもって自任、自認する私オオイシにはそこまでのキリスト教に関する知識がないため、そういった壮大な妄言を弄することができない。私にとっては残念無念、ゆゆしき事態であるといわざるをえないのであるが、これを読む諸君にとっては幸いとすべきであろう。

とか何とか言いつつ、今週も終わります。

「汚れなき悪戯」は有楽町のみゆき座で今週いっぱい金曜日までやっています。

ところで、大切なことなので報告。
ついに今週、私、買ってしまいました。
何を?
ボラーニョです。
ロベルト・ボラーニョ著「2666」。ハードカバー800ページ超に及ぶ大著。
6600円(!)+税。
まだ、100ページくらいしか読んでいませんが、これは、良いです。すごく面白い。

んな感じで、何とはなしに懐がさみしいのは12月の寒さばかりのせいではないオオイシ君でした。
ではでは~


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