「風と光と二十歳の私と」 邑井游鉄さん
「そのうちいいことあるかねぇ」私の横に腰を下ろすと、必ずそう尋ねる老女がいた。
二十数年前に勤務していた精神病棟での話である。
「そりゃあ、いいことあるさ」私は尋ねられる度にそう答えていた。しかし、三十年以上の入院歴を持つ天涯孤独の彼女には、迎えに来る人もなければ、帰る所もない。このまま病院で朽ち果てて行くしかない彼女に、いいことなんてあるのだろうか?彼女の背景を考えると、私は次第に「そのうちいいことあるさ」という無責任な言い逃れをするのが苦しくなって来た。
そこである日、彼女がいつもの科白を口にする前に、「今日なにかいいことあった?」とこちらから尋ねてみた。「こんな病院に居ていいことなんかあるわけないやろー」と、いつもは穏かな彼女が激怒した。驚いた私は「私にはいいことあったよ。今朝は病院の周囲の桜が満開で、見ているうちにとても晴れやかな気持ちになった」と、その場を取り繕うように話した。彼女は「ふん」とせせら笑って自室に戻って行った。
それから毎日、彼女と私の間では同じことが繰り返された。彼女が寄って来る。私が「なにかいいことあった?」と尋ねる。彼女が怒る。そこで私は「私にはいい ことあったよ」と自然の美しさや、他者から受けた気配りの嬉しかったことなどを話す。彼女は「ふん」とせせら笑って席を立つ。
そんなことが一と月ばかり続いたある日、「なにかいいことあった?」と尋ねると、彼女は「いいことあった」と笑った。「同室のAさんが飲みさしの缶コーヒーをくれた。嬉しかった」と話す彼女に「いいことあったね。いいことあったね。いいことあったね」と私は馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返していた。
寺西さんが坂口安吾の「風と光と二十歳の私と」について書いていたのを読み、高校時代の私が何に感動していたのかを思い出した。確かに安吾の生きる姿勢に触発されたのだが、何よりも他者との関係は「共に在る」というスタンスがなければ成り立たないということを、あの小説が教えてくれた。それが、その後の精神科看護師としての私の根幹を形成して行ったのだと思う。それなくして、あの老女とのエピソードは有り得ない。あの頃、彼女にその日あったいいことを語るために、周囲の出来事を詳細に観察し、その良い面を見ることに勤めていた。おかげで、世界は美しさで満ち溢れていた。今は昔の話である。
邑井游鉄さんより
邑井さん、おたよりありがとうございます!なんだか小説をよんでいるようなそんな気分になりました。
「世界は美しさで満ち溢れていた。」読みながら、私の頭の中までキラキラした映像が映し出されていました。ステキ!
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