凱風舎
  1. 「凱風舎」トップページ
  2. 「哀愁」  前野狼騎さん

「哀愁」  前野狼騎さん

 今日も暑い日でした。
夜になって窓を開けても、夜蝉の鳴声が聞こえるだけです。
ともあれ、今夜は、邑井君からいただいたオールドパーのロックを飲みながら、例の新聞記事にもあり、本屋で何気に見つけて買った井上靖の「北の海」を読み終えたところです。
これが大変面白かったというか、オレはいたく感激しましたわ。
最近、現代の小説家や雑誌の小説ばかり読んでいて、ドーモ疲れてしまった。
食傷気味なのです。
それで、この「北の海」と現代作家たちの作品との違いは何だろうと考えてみるに、おそらくそれは『哀愁』ではないかと思うのであります。
井上もそうだが、漱石や志賀直哉や小川国夫にあって、今の若い作家にないものは『哀愁』です!
考えてみるとオレが若輩であった四十数年前は、政府自民党の金権政治家も彼らに反対してヘルメットを被り、街頭でデモをやらかしていた我らにも、そんなもんくだらんとコタツで麻雀三昧の日々を送っていたノンポリ学生にも、確かに『哀愁』はありました。
それに比して、今の政治、世相が急速に一つの方向に突っ走っているのは
哀愁に欠けていますよ。
テレビをつけるとテトラポッドに貼りついたフジツボみたいな顔をしたシュショウとかいう奴がヘラヘラと画面に出てくるのはおぞましいとは思いますが、これも日本人が選択した事であり、むしろこの先どうなるか楽しみでもあります。
日本や日本人が将来どうなろうが知ったこっちゃないと思っている訳ではありませんが、成るようにしか成らないし、哀愁がないのはドーモいただけない。
オレが思うにこの世の事は全て「幻想」ですが、それを絶望と思うか希望と思うか、諸行無常を虚しいと感じるか朗らかと感じるか、全て心の持ち様ですね。
太極拳がケンカに使えるか使えないかなど、ドーデモ良いことです。
太極拳は『哀愁』そのものだからです。

 

 廃炉まで七生蝉が鳴きつづく  鈴木正治

 

 菜園に蜥蜴出で来て睥睨す   狼騎

///////////////////////////////////////////////////////////////////////////

おたよりありがとうございます。

狼騎氏の文章を読んだあと、そういえば昔

「哀愁の街に霧が降る」

という歌があったなあ、などということを思い出してYou tubeを聴いてみました。

オリジナルは山田真二とかいう人が歌っていたらしいのですが、昭和40年代の初め私たちが中学生の頃聞いたのは、久保浩という歌手が歌ったものでした。
その一番の歌詞を書き記してみれば以下のようなものです。

日暮れが青い灯つけてゆく
宵の十字路
泪いろした霧が今日も降る
忘られぬ瞳よ
呼べど並木に消えて
あぁ哀愁の街に霧が降る

今から見れば、なんともゆったりしたメロディにのせて、すこしもくせのない声がむしろ淡々と歌っている歌でした。
その歌詞の《忘られぬ瞳よ》の部分は、二番では《過ぎし日のあの夜》、三番では《なつかしのブローチ》と歌いかえられていきます。

そんな歌を聞きながら、ひょっとして「哀愁」というのは、負の側面を持った過去が、時間がたっても、いつまでも心のどこかから消え去らないことから生じる心性なのか、などと思ったりしました。
あるいは持ち続ける・・・。

だとすれば、狼騎氏が言う「哀愁に欠けている」現代というのは、人々が過去の一切から切れて、現に在る「今」という時だけの謳歌に走ろうとしている時代なのかもしれません。
自分にとっての「負の過去」から目をそむける、あるいは、そんなものはなかったかのようにふるまうことをよしとしようとする時代。
《ポジティブ》《前向き》《積極的》が「よし」とされる時代です。

そういえば、現代の「蜥蜴」であるらしい今の首相の基本スローガンは《戦後レージームからの脱却》でした。
この一年余り、ますます強まる中国、韓国といった近隣諸国との軋轢は、日本の「負の過去」をなかった事にしたいという彼の政権の願望から生じたものです。
もちろん彼はあの原発事故すら「なかったこと」にしようとする。
2020年には東京オリンピックだぜ!
狼騎氏が言う「今の政治、世相が急速に一つの方向に突っ走っている」その方向とは「未来」なのでしょうか。
彼らは事あるごとにこう言います。
「《未来志向》で考えよう!」。
けれども、これはいったい何を言うておる言葉なのですか!
現在を過去とのつながりの中で客観的に眺める視線を持たぬ者の「未来」とは、ただ醜く自己正当化された「現在」の同意語、あるいはその美辞に過ぎません。

はてさて、1970年代の半ば、まだ、日本では郷ひろみという歌手が
「よろしく哀愁」
という歌を歌っていました。
けれども日本がバブルに突入しようとする1980年代の初め、田原俊彦という歌手が踊りながら

Bye-Bye    哀愁でいと!

と歌ったのでした。
ひょっとして日本の「哀愁」は、あのあたりでその息をしずかに引き取ろうとしていたのかもしれません。

すてぱん


----------------------------------------------------------------------------