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「ゆく春や」  北川司さん

 

  ゆく春や親父二十五の日記帳

 

 

 今、位牌を見て確認したら親父が亡くなってから十四年経っていました。
はやそんなに。
日記帳は昭15、4ヨリ 昭15、5マデとなっています。

今日は少し寒い日曜。
三分クッキングのおろしそばと熱燗で日記帳を読んでみよう。

 

 

 2014042009560000

 

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 おたよりありがとうございます。

 昔、酒を飲んでいた前野氏が
「だいたい父親ちうもんは、息子から見たらさみしいもんやないか」
と私に言われたことがあります。
 当時、氏は父君を亡くされて間もないころでした。

 はたして、あらゆる父親があらゆる息子にとって、さみしいもの、であるかどうかはわかりません。
 けれども、それ聞いた私が、氏の言葉に何ほどかの共感を抱いたのは、息子にしかわからない父親のさみしさ、というものがあるような気がしたからでしょう。
 もちろん、娘にしかわからない母親のかなしみ、というのもたぶんはあるのでしょう。
 もっとも、氏に触発された私が、父親のさみしさを思ったのは、父親にとって自分が、要は「放蕩息子」でしかなかったという思いからなのかもしれません。
 一般に「放蕩息子」というものは、母親に対してではなくその父親に負い目を感じるものです。

 はてさて、自分の父親にも、生きた25歳の時があったことを知ることは不思議なことです。
 司氏にとって、ゆく春、の思い、いやましの若葉冷えの午後だったと思います。

 

                      すてぱん

 

 


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