「春灯」 北川司さん
地謡の春灯揺らす稽古かな 歩生
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おたよりありがとうございました。
先ほど、漢和辞典を引いたら「稽古」の「稽」の字は《止まる》もしくは《留まる》ことを表す字であると書いてありました。
もちろん、そこに止まり、留まることは、それについて考えることにつながるのでしょう。
だとすれば「稽古」とは論語に言う「温故知新」の「温故」に当たるものかもしれません。
あるいは「学びて時に之れを習う」の「時習」(=タイムリーなときに復習する)の謂でもあるでしょう。
故(ふる)きを温(たず)ねて〔あるいは(あたためて)〕新しきを知る、以って師為(た)るべし。
温とは「肉をとろ火でたきつめて、スープをつくることだ」と吉川幸次郎氏が書いています。
「温故」とは、そのようにして、時間をかけてそのものに含まれている本当の味わいをエキスとして抽き出すことをいうのでしょう。
また、「時習」については、「時習之」の習うべき「之」とは儀礼の場における身体の実践的振る舞いを指すのだと加地伸行氏が書いていたと思います。
いずれにしても、「稽古」とは、ある身体的行為をそれがあたかも生得のものであるかのようになるまで繰り返し繰り返し体にたたきこむことを指すのでしょう。
残念ながら、狼騎氏とはちがって、そのようなことを一度もやってこなかった私ですが、春は名のみ、の今日この頃、謡の稽古に揺れるかの春の灯かり、美しい、と思って読みました。
すてぱん
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