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「引退」 邑井さん

高校入学間もないある日の昼休み、鉄棒にぶら下がっていた私に向かって、寺西さんが「おまえ、水泳部に入れ」と命令したのです。
鉄棒にぶら下がった頼りない姿勢はバンザ〜イの降伏ポーズです。
もとより気の小さな私に抗う術などあろう筈もなく、翌日からプールに日参することになったのです。
部活について「そこに所属していることに何の思い入れもなかった」人が、その当時なぜ恫喝勧誘などしていたのでしょう。

当時、水泳部は部員減少で同好会に降格寸前でした。同好会になると活動費が支給されません。
その頃の水泳部の悲願は、フロート部分がプラスチック製のコースロープを7コース分揃えることでした。木のフロートが腐食して脱落し、鋼鉄のワイヤーだけになってしまったコースロープの残骸には、記録向上は諦めよという怨念が封印されているようでした。コースを外れて接触した泳者に何度もみみず腫れを創ってくれたものです。
ですから、何としても部員を確保し降格を阻止しなければならなかったのです。頭数でしかない私は当然のごとくほったらかしでした。コーチもいなければ部長や主将が誰かさえもわからない胡散臭い部ですから、練習も名ばかり。ただ水に漬かっているだけです。
おかげで大会に出てもターンした瞬間に天地左右がわからなくなり、隣のコースを侵犯したかどで失格。とうとう正式タイムなしで卒業せざるを得ませんでした。ターンの方法どころか基本的なフォームさえ教えてくれる先輩は誰もいなかったのです。
私は背泳を生業としておりましたが、ちなみに恫喝勧誘者も背泳でした。

先輩が引退し、プールの水漏れ補修の工事が始まった時、新キャプテンの山本ブンソクが何を血迷ったか「工事期間中、われわれは泉ヶ丘高校水泳部の練習に参加する。明日から授業が終わったら泉ヶ丘のプールに集合しろ。向こうとは話がついている」と宣言した。
翌日、泉ヶ丘に集合したのは私とブンソクの二人だけ。当時、泉ヶ丘の水泳部コーチは県内に名の知れた女傑で、ぐずぐず準備体操をしていた私を頭ごなしに怒鳴りつけ、ふくらはぎにけいれんを起こした時にはボロカスにけなした。部員はコーチの号令一下、きびきびと練習を繰り返し軍隊の調練のようであった。
二水水泳部とは取り組み姿勢が雲泥。しかもプールの水は肌にキリリと冷たく、水深があり中央部は背が立たず溺れそうで怖いくらい。ここには部活のエッセンスがすべて揃っていた。というわけで、当然翌日から泉ヶ丘に行ったのはブンソク1人になりました。

彼の水泳部のようであれば引退に際し、皆で肩をたたき合い涙にくれるのでしょう。
しかし、所詮私とは無縁の世界。
つくづく母校のプールのぬるま湯が性に合っていると思うのです。


おたよりありがとうございます。
二水高校のお話しは、どなたにうかがってもなんだかのんびりとしていて、当時はそんなものだったのかと思っていましたが、そういうわけでもなかったのですねぇ。
というかテラニシ先生の周りの方々だけがそうだったのかも…

運営スタッフ より

 

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