「左義長」 勝田正人さん
境内にある石板の社誌によれば大野湊神社は延喜式神名帳に記載を持つ由緒ある神社です。
左義長に注連飾り等を持っていきましたが、恐るべき時代になったものです。
大きな、二升サイズはあるお鏡(二段重ね)が、お飾りや書初め等と一緒に持ち込まれているのを世話役が発見し、炎には入れずよけてありました。
小さなサイズの餅も三組ありました。
もう一つは、あまりに長い歳月に耐えかねて、何がなんだか当の本人も解らなくなってしまった狛犬です。
これはまだ良い方で、相棒はただの苔むした石塊にしか見えませんでした。
先の石板によれば、社殿は江戸期寛永期とのことです。
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おたより、ありがとうございました。
すさまじい火勢ですなあ!
この頃は、左義長も鉄枠付きなんですな。
そういえば、金沢を離れて、左義長なんてもの、とんとお目にかからなくなりました。
ちなみに、私の字がへたっぴのままなのは、子供のころの書き初めが「どんど焼き」の火にいっこう高く上がらなかったせいです。
それにしても、鏡餅をそんなところに丸のまま持ち込むなんて、なんとまあ、バチ当たりな!
あれは硬くなったやつを玄能とか金槌でたたき割ってですな、それを針金につけてどんどの火で焼いたり、あるいは汁粉だか善哉だかに入れて食べるものです。
まあ、焼いたやつは、表面ばかりが焦げてあんまりやわらかくならなかったし、汁粉に入った奴も、煮てさえところどころ硬いところがあったりしたもんですが、まあ、それでもそうやってありがたく頂く、と決まったものです。
いやはや。
それにしても、大野湊神社の狛犬、ただものじゃあありませんな。
思わず「君が代」の歌詞を思い出してしまいました。
寛永どころか、「千代に八千代に」の年経てきたかの苔のむしようです。
こんなのに口を開けられちゃあ、菊田神社の「こま君」など、輪島の御陣乗太鼓のお面に脅かされた上杉軍の如く、すごすごとしっぽを巻いて退散するよりしかたがありません!
(ちなみに寛永は将軍家光の頃です。)
すてぱん
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