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ハードボイルド・ワンダーランド

 

  人が虚構に準拠して行為するのは、その当人が、問題の虚構を(現実と)信じているからではない。そうではなくて、その虚構を現実として認知しているような他者の存在を想定することができるからなのである。 (中略) 人々の行為を規定しているのは、何を信じているかではなくて、何を信じている他者を想定しているかである。自らは虚構を信じていなくても、その虚構を信じている他者を想定して行動してしまえば、虚構を信じている者と結果的には同じことをやってしまう。

 

 ― 大澤真幸 『増補 虚構時代の果て』 ―

 

  気が付いたら冷蔵庫の中にマーガリンと味噌しかなくなっていた。
 すごいなあ!
 買い物にずっと出かけていないんだから当り前と言えば当り前だが、味噌とマーガリンしかない冷蔵庫というのはなかなか笑ってしまう。
 近くのストアに行き、肉やら野菜やら卵やらを買ってくる。
 ついでにティラミスも一つ。
 まあ《肉球パン》ほどではないだろうが、こんなのがひとつあるだけでコーヒーが格段うまい。
 風邪は完全に治ったらしい。
 頭も痛くない。
 足もちゃんと上がる。

 飯を食べた後、宇野常寛の『リトル・ピープルの時代』というのを読んでいたら、和紗ちゃんがやってきた。
 今日は私立の入学試験で、3年生は学校が早く終わったのだという。
 せっせと数学の問題を解いている。
 えらいな。

 宇野常寛は去年読んだ『ゼロ年代の想像力』というのがめちゃくちゃおもしろかったが、これもおもしろかった。
 彼の本を読むと、ゼロ年代にしろ九〇年代にしろ、私の知っていることは何一つなかったのだ、ということがよーくわかる。
 年寄りを置き去りにして、時代はとんでもないところにまで来ているのだ。
 昔は「バーチャル・リアリティー」なんて言葉があったが、もはやそんなものはなくなってしまっているらしい。
 そう言われれば、たしかにそんな言葉を耳にしなくなった。
 今あるのは「オ―グメンテッド・リアリティー(拡張現実)」というものらしい。
 たぶん「仮想現実」で遊んでいるのは、いまや永田町にいる阿呆どもだけなのだろう。
 自分たちが時代から取り残されていることにも気付かず彼らは昔風のせりふを吐き続けている。
 彼らの行為を規定しているものは自分が信じているものではなく、そう信じているだろう「国民」がいるという想定だ。
 彼らはその想定のもとに、その言葉を吐きその演技をする。
 だが、彼らが想定する「国民」なんてもうどこにもいないのだ。
 国会議員や大臣がエライなどと思っているのは自分たちだけなのだということにすら彼らは気づかずにいる。
 彼らだけが平板な「現実」を生きている。
 思えば去年の暮れに終わった「坂の上の雲」というドラマは日本に「国民」がおり、世界にも「国民」がいた時代(ハードボイルド・ワンダーランド)への21世紀からの挽歌だったのかもしれない。

 読み終わって机の上に本を置いたら、和紗ちゃんが
 「先生の読んでる本って難しそうですね」
っていうからAKB48のことが書いてあるところを開いて読ませたら、
 「えー、AKBのことでこんなことまで考えるんですかぁ」
とエラクおもしろがって、結局20ページほどのその章を読んでしまった。
 考えてみれば、たとえ中学生であっても、個人名を言われても顔も思い浮かばないし題名を書かれても曲さえ知らない私より書いてあることがよくわかるという理屈かも知れない。
 時代はもう私たちではなく彼女たちのものなのだ。
 


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