同棲時代
すばらしい乳房だ蚊が居る
― 尾崎放哉 『大空』 (「現代俳句集」 現代日本文学全集91)―
「神田川」という歌がパチンコ屋に流れていたのは私が大学3年生の頃だった。
そういう題名の映画もあった。
「同棲時代」という漫画もあった。
もっとも、私は当時も漫画週刊誌を読む習慣がなかったのであんまり筋は知らないのだが、絵は知っている。
これにも同じ題名の映画があった。
これらの映画は場末の三本立て映画館で観た。
まあ、あのころは公開されたどんな映画でもたいていは観ていた。
はてさて1970年代の初めである。
秋吉久美子とか関根恵子とか由美かおるとかみんな素晴らしいおっぱいをしていた。
私もまた素晴らしいおっぱいに感動できる年齢であった。
思えばふしぎな時代だった。
私より年齢が二つか三つ下の、秋田県出身のツチダ・タダミ君は渋谷区笹塚の下宿で
「俺、東京に出て来さえすれば女の子と同棲出来ると思ってたんだけどなあ」
としみじみ述懐したしたことがあって私は大笑いしたのだが、そんな結構な話はこの世に起きるはずもなく、呼ばれもしないのに彼の部屋にいて並んでインスタント・ラーメンをすすっていたのは残念ながらいつも私だった。
とはいえ、ツチダ君ほどではないにしても、当時の地方から都会に出た若者は心のどこかにそんな幻想を抱いていたのではないだろうか。
そういう時代だったような気がする。
なぜそうだったのかを分析する力は私にはないが。
さて、オウム真理教の平田信容疑者をかくまっていたという女性が出頭したという話を読んで、私は思いもかけず、なにやらそんな70年代初頭の匂いをかいだような気がした。
若い人は知らず、私と同年代の者たち胸にも同じような感慨が湧いたに違いないと思う。
同棲は何も七〇年代に限らず、今だって普通にあることだろう。
けれども、彼らの同棲が他の同棲とちがって見えるのは、それが七〇年代歌に歌われ映画にされたのとおなじような「出口のない同棲」だったからだ。
ここでいう「出口がない」というのは未来がないということだ。
七〇年代に歌われたのは、いわば共有すべき未来を持たない者同士の同棲だった。
自分たちが持つであろう未来や将来を共に見る者同士の同棲は結婚と呼ばれるのに対し、七〇年代に喧伝された「同棲」は、それを持たなかった。
あるいはそれを持たないことに現在の愛の純粋性を見る、という主張をその裏に持っていた。
もちろん、そのような主張は、女性という産み育てる性によって破綻せざるを得ない。
いくら現在にのみとどまろうとしても、子を孕み産み育てるということは必然的に未来という時間を二人の間にもたらすものだからだ。
オウムの二人にはたぶん現在しかなかったであろう。
それは外部から強いられたものだったけれども、同棲という形態の持つ「反社会性」もしくは「非社会性」がひさしぶりに表に現れた姿だった気がする。
その「反社会性」とは、実は《現在しか持ちえない者》の哀しみのことでもあるのだが。
(風邪、イマダ癒えず。
また寝ます。)
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