目が驚く
ナタナエル、大切なことは君の眼差しの中にあるので、見られたものの中にはない。
― アンドレ・ジッド 『地の糧』 (今 日出海 訳) -
今日も冬晴れ。
今日も風はない。
それでも、昨日よりすこし肌寒いので部屋の窓は閉めたままだった。
午後、借りていた子供向けの詩の本を返しに図書館に行く。
まったくこの新習志野の図書館は雑誌と子供向けの本以外なにも読むべき本がない。
よわった図書館だ。
本を返却したあと、低い椅子に座って絵本を読んでいたら、「うさこちゃん(ミッフィー)」の絵本を持った三つくらいの坊やが向かいに座った。
そうか、男の子もうさこちゃんを読むのかと、ちょっと感心して見ていたら、さすが男の子だ、わしわしとページをまくっていく。
もちろん口の中で何かつぶやきながらね。
で、あるページになったら急にうれしそうに声を上げてお母さんを呼ぶんだ。
「なあに」
お母さんが言いながらのぞきこむ。
見ると三角の屋根がいくつか並んでいるだけのページだ。
でも、うれしいんだな、こんなのが。
それまでうさこちゃんとその仲間ばっかりだったのが、ページをめくるとくっきりとしたこんな形があらわれて、きっと目が驚いたんだ。
なにしろ目が驚くってことはすごくたのしいことだからね。
だから坊やは声を上げたんだ。
だって、驚くっていうのは、自分がしばられていた何かからぴょーんって解き放たれるってことだものね。
単純だが鮮やかで明確な色と形をディック・ブル―ナは差し出すんだね。
彼はページをめくる子どもの目が、それにどれほど喜びに満ちた驚きを持つかを知っているのだ。
男の子はページを元に戻し、またそのページを開けてうれしそうに声を上げている。
まるで「いないいないばあ」をやってるみたいだ。
でも、ひょっとしたら絵本のたのしさって実はただそれだけなのかもしれないね。
そう言えば昔高校の図書館でゴッホの「烏のいる麦畑」をはじめて見たときのわたしも同じことをしていた。
上半分が青で下半分が黄色のその絵が載っている大判の画集の見開きページを何度も開けてはそのたびに自分の目が驚いていることを愉しんでいた。
そんなこと、図書館の帰り路、思い出してた。
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