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幼稚な疑問

 

 

 すばらしい夜であった。それは、愛する読者諸君よ、まさにわれらが青春の日にのみありうるような夜であった。いちめんに星を散りばめた明るい夜空は、それを振り仰ぐと思わず自分の胸にこんな疑問を投げかけずにはいられないほどほどだった――こんな美しい空の下にさまざまな怒りっぽい人や気紛れな人間がはたして住んでいられるものだろうか? これもやはり、愛する読者諸君よ、幼稚な、きわめて幼稚な疑問である。しかし私は神が諸君の胸にこうした疑問をよりしばしば喚起することを希望する!

 

    ― ドストエフスキー 『白夜』 (小沼文彦 訳)―

 

 大阪の大学でスウェーデン語を勉強しているはずきさんは大学での選考試験を通って来年の夏から一年スウェーデンに留学することが決まったらしい。
 それを威張りに来たわけでもないが、たまたまトンボ帰りの用事があってこちらに戻って来たという彼女が午後全くひさしぶりに部屋にやって来た。
 生意気にも二十歳のおねえさんであった。

 スウェーデン語というのはゲルマン語の一種だから、まあ英語の従兄弟のようなものであるらしい。
 その単語やら時制について彼女は一生懸命わたしに説明してくれながら、
「ね、おもしろいでしょ?」
と言うが、まあそんなのわたしに言っても、中学一年生が現在完了形について教わるようなもので、まるでわからなかったことは言うまでもない。
 わかるのは彼女がそれをとても「おもしろがっている」ということで、おもしろがっていることを持っている若い人の話を聞いて
「ほう!」
とか、
「なるほどなぁ!」
などと相槌を打ってあげるのは老人の大切な義務である。
  
 そんな老人が北欧と聞いて思い浮かべるのは夏の白夜で、白夜というてシェークスピアの「真夏の夜の夢」よりもドストエフスキーの「白夜」の方が先に頭に浮かぶのは、若い頃の好みのせいである。
 そして、引用したこの短編の冒頭の一節はわたしの大好きな言葉で、諸兄諸姉の中には何度かこのセリフをわたしから聞いた方もおありかもしれない。

 カーン、と冷えしまった冬の南の空にオリオンが立ち上がりその足下にシリウスの青白い光が輝いているのを目にすると、今だにわたしは思わず
  素晴らしい夜であった!愛する読者諸君よ!!
というセリフが勝手に口をついてしまって、そのことになんだかニコニコしてしまうのだ。
 もちろん、それはドスト氏の描いた本物の白夜とはまるでちがうものなんだろうけれど、
 こんな美しい空の下にさまざまな怒りっぽい人や気紛れな人間がはたして住んでいられるものだろうか?
と、思わずこんな問いを自分の胸に投げかけずにはいられないような、そんな「素晴らしい夜」というのは、ぼくらにとっては冬の夜空だろう、と勝手に思ってしまうのだ。
 そしてこの「幼稚な、極めて幼稚な疑問」が今でもわたしのところに届いてくれることに、
   まだ自分は大丈夫なのだ
と、あの星々と神様に、ちょっと感謝したくなるのだ。

 それにしても、スウェーデンはいいな。
 本物の白夜はいいな。
 来年か再来年は、是非ともはずきさんのところに押しかけてみよう。
 


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