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里程標

 

 「あなたは里程標なのよ」とアニーが言う。 「道路の傍らに立っている里程標。ムランまで二十七キロ、モンタルジまで四十二キロというふうに冷静に一生の間説明している。それだからあなたがとても必要なのよ」

 

     ― サルトル 『嘔吐』 (白井浩司 訳)―

 

 学生のころ読んだ『嘔吐』の中の言葉をわたしは誤って覚えていたらしい。
 今日図書館で確かめてみて、はじめて気づいた。
 わたしはここで言われている「里程標」を
 《ムランまで二十七キロ、モンタルジまで四十二キロ》
というのではなく、たとえば
 《パリから二十七キロ、パリから四十二キロ》
といった数字を示すものだと勝手に思い込んでいたらしいのだ。
 言われてみれば、たしかに道を行く者にとって必要なのは、行き先までの里程を示すものであって、どれほど自分が出発地点から遠ざかったか、ではない。
 それなのに、わたしがそう思い込みそう記憶していたのは、当時から自分のことを動くことを(あるいは変わることを)やめた人間であると意識していたからなのだと思う。
 だから、ここの部分を読んで
  そうか、俺は「里程標」だったのか!
と勝手に思い込んだのだ。
 わたしは動かないので、時間を経てわたしに会うものは皆、自分がどれほど変わったかを確認できるのだ、と思ったのだ。

 記憶は違っていたが、わたしが、わたしが思っていたような「里程標」であることに、二十代のころも今も違いはないらしい。
 大人になってわたしの部屋を久々に訪れた生徒たちは皆一様に
 「変わってませんねえ、この部屋」
と感慨深そうに言う。
 彼らは皆、この部屋に来ると自分がどれほど遠くまで歩いて来たかをつくづく感じるらしい。
 もちろん、行き先を示さぬそんな「里程標」が彼らに「とても必要」とは、わたしにも思えないのだが。
 
 ところで、この小説でアニーに「里程標」と呼ばれているロカンタンも毎日図書館に通っている男だったなあ。 


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