秋収
春耕、夏耘、秋収、冬蔵。
(春は耕し、夏は耘(くさと)り、秋は収め、冬は蔵す)
ー 『荀子』 (金谷治 訳注)―
このところいいお天気が続く。
からりとかわいた空気に窓を開けていると、夏よりも低くなった昼間の太陽は部屋のずいぶん奥まで差し込んでくる。
ヤギコはそんな日の射すカーペットの上で寝ころんでいる。
読書に倦んで立ち上がると窓の下の柚子の実がすこし色づいて来たのが見える。
十月ももうすぐ終わりだ。
今日の空には雲がない。
春と秋はよく似たもののように言われる。
けれど、それはまるで違う。
たとえ気温は同じだったとしてもまるで違うものだ。
夏に向かう季節と冬に向かう季節の違いなのだろうか、この年になってさえ春は心がどこかざわめくのに秋にはそれがない。
「春耕夏耘」しなかった私に、秋とて何収めるものとてはないのだが、心はしずかに今を愉しんでいるばかりだ。
明日から金沢。
だから月曜までこの通信もお休みです。
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