ざわめき
もみぢの枝さきは繊細なのに大きい葉をつけてゐるから風にさとい。
― 『眠れる美女』 川端康成 ―
先日、金沢の美菜さんからひさしぶりにメールがあって、
《センター入試まであと100日を切り・・・。》
と書いてありました。
今年はセンターを受ける受験生もいないから、そんなこと、気にもせずにいましたが、あらためて、いやはや、たいへんだなあ、と思いました。
入学試験が近づいてくると、だれだってやっぱり緊張しますものね。
さまざまな気持ちの揺れだって起きます。
葉っぱさえ付けていなければ、枝は風に揺れなくてすむでしょう。
一方枝が細くてもその先に大きな葉を付けていれば、風が当たれば揺れます。
けれど、たとえ風が強くても、葉を付けた枝というのは若くしなやかなので、たいていは葉を落とさず、その風に堪えることができます。
とはいえ、秋になり枝が老いれば木は葉を落とさなければなりません。
年寄りが若い人よりも物事に対する動揺が少なくなるのは、ただ余計な葉を落としてしまっただけなのかもしれません。
だから、わずかな風にさえ木が自分の枝を揺らすとすれば、それは、枝にたくさん葉を付けているからです。
若さとは外界からのかすかな刺激にさえ身がざわめくことです。
そして、言うまでもありませんが、そんなわずかな風にさえ揺らめく緑の葉をつけた木々だけが成長できるのです。
ところで、葉を落とせばいいのに、もはや光合成もしなくなった色褪せた葉を後生大事に落とさずにいる奴もいます。
そいつらはほんの些細な風にさえ、いつも同じ、聞きあきたかわいたイヤな音を立てているようです。
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