秋の詩人
木
はっきりと
秋だなとおもうころは
色色なものが好きになってくる
あかるい日なぞ
大きな木のそばへ行っていきたいきがする
たとえば、こんな詩。
なんの気取りもなく、息のように吐かれた、言葉の、ちいさな、塊り。
八木重吉の詩。
毎年、秋も十月の頃になると、八木重吉の詩が読みたくなるのはなぜだろう。
秋の空気に、にごっていたわたしの心もすこしは澄んでくるからだろうか。
秋
秋になると
ふとしたことまでうれしくなる
そこいらを歩るきながら
うっかり路をまちがえて気づいた時なぞ
なんだか ころころうれしくなる
栗
栗をたべたい
生のもたべたいし
焼いてふうふう言ってもたべたい
ある時
べつに
することもないし
悲しいこともなかったので
ひとりでにこにこしていた
雨
雨のおとがきこえる
雨がふっていたのだ
あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
雨があがるようにしずかに死んでゆこう
こんな詩を歌った人がいる。
そう思うだけで、心はすっかり秋になる。
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