あー、たのしかった!
しかし、最悪の建築師でも、もとより最良の蜜蜂にまさるわけは、建築師が蜜房を蝋で築く前に、すでに頭の中でそれを築いているということである。労働過程の終りには、その初めにすでに労働者の表象としてあり、したがってすでに観念的には存在していた結果が出てくるのである。
― マルクス 『資本論』 (エンゲルス編 向坂逸郎 訳)―
部屋はうつくしくなりました。
昨日昼前にやって来た少女は、家から用意してきたというマスクをかけました。
そして、まず本棚の本をすべて引っ張り出しました。
それから、ほこりのたまった棚に掃除機をかけ、さらにそれを雑巾できれいにぬぐいます。
なるほど、物事をすっきり整理するには、まず、
ゼロの状態をつくる
ということが大切なようです。
そうしておいてから、彼女はふたたび本を並べはじめました。
そのとき、彼女が採用した本を棚に並べる基準はたった一つです。
本の高さを揃える
この一点です。
「だって、その方がキレイなんだもん」
そうですか。
本の内容、わたしのその本への愛好度合、などといったものは一切顧慮されません。
というか、そんなもの彼女の知ったことではないのです。
なるほど、物事の整理においては、何事においても基準は単純な方が、よろしい。
さっきまで、隙間という隙間に乱雑に本が突っ込まれていた本棚は見る見るすっきりしたものに変貌いたします。
そして、驚いたことに、絶対に本棚をはみ出すはずの本まで彼女は上手に並べるのです。
うーん、おそるべき整理能力。
そして、本棚の整理が一段落(と言っても、これで3時間かかった)したとき、彼女はなんと言ったと思います?
「あー、たのしかった!」
世の中には、部屋の掃除や整理が本当に好きな人もいるんですなぁ。
わたし、ホントにびっくりしました。
60年になんなんとするほど生きてきましたが、他人の部屋の掃除をして
「あー、たのしかった」
などというセリフをはく人に会ったのははじめてです。
すごいなあ!
それにしても
と思ったのですが、マルクスに言わせれば、わたくしがやっていた「整理」などというものは、そもそも労働過程終了の結果が頭の中に存在しないまま、ただ物を移動させていただけのことなんですな。
そもそも、目的すらしっかり把握できていないで、ただ作業をはじめていただけでなんです。
そのことが、よーくわかりました。
というわけで、わたしの部屋はこのさわやかな10月にふさわしいさわやかな部屋に変貌しつつあります。
なにせ、彼女曰く、
「残りはまた来週ねッ」
あらまほしきは、お掃除好きの生徒です。
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