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西の『嵐が丘』・東の『カチカチ山』

 波風などの騒ぐをある(荒る)と云ひ、しづまるをなぐ(和ぐ)と云。

       ー 本居宣長 『鈴屋答問録』 ー

大阪にいるはずきさんから昨日手紙が届いた。
  《今日は英文学の『嵐が丘』のレポートの提出日でした。
   あたし、ちゃんと出しましたよ。》
 年末に来た彼女の手紙にによれば、今回のレポートの題材は
    ディケンズ   『大いなる遺産』
    C・ブロンテ  『ジェーン・エア』
    E・ブロンテ  『嵐が丘』
 なかなか重厚なラインアップですが、この中から一作品を選んで、それぞれについて出されている課題にレポートを書くらしい。
 私、ふーん、と思いながら、何もやることない年末年始、読んでみました。
 初読の『大いなる遺産』をはじめ、どれも、おもしろかったんだけれど、何といってもその中でダントツに「凄い」と思ったのは『嵐が丘』でした。迫力、断然他を圧しておりました。
 そう、あの丘には私が高校生だった40年前と同じように荒涼たる風が吹きすぎておりました。
 ところで、はずきさんが課せられた『嵐が丘』のレポート課題というのは    
   《『嵐が丘』の悲劇の原因》
というものらしい。
 何なんですかね、これ。
 「そんなもの、ヒースクリーフという、あのとんでもない男のせいに決まっとるやん!」
というわけには、どうも大学の文学部というところはいかないらしい。
   《それでは、なぜヒースクリーフはあんなとんでもない男になったのでしょう》
ということを考察するらしい。
 「そんなん、あいつがキャサリンという娘にに惚れとったからじゃろう」
がさつな私はそう思いますが、これじゃあ、原稿用紙10枚は書けない。
 しかし、たとえ10枚書けなくても、ほかに何があるんじゃろう。  
 世の中の《悲劇》と言われるものの原因の9割は男が女に惚れることに起因しているに決まっているではないか!
 そして、文学なんて、 「身も蓋もないけど、でも人間、結局そうなんだなあ」
としみじみ思いいたるところに、その存在意義があるというものではなかろうか。 たぶんそこをはなれて文学の意味なんてない。
 思いみよ、西に『嵐が丘』あれば、東に『カチカチ山』あり。
 太宰治はタヌキの悲劇について書いとります。
  曰く、惚れたが、悪いか。
 男の悲劇の原因、言いつくしております。
 あのヒースクリーフもかの醜いタヌキと同じことです。
 ただ、間抜けな自惚れタヌキが暮らしていた、どこか春風駘蕩たるカチカチ山と違って、あのイギリスの丘は寒々としていた。でもあの丘にそんな荒涼の風をもたらしたもは、何あろう、ヒースクリフという男の胸に吹き荒れていた荒々しい風だったのではないか。
 今日引用した文で、本居宣長が弟子に言っていることは、
   誰の心にだって、《荒魂》のときはあるのだよ。
ということでした。
 まあ、ヒースクリ―フには宣長の言う《荒魂》の日ばかりで《和魂》の日はなかったことが、あの嵐が丘の悲劇をもたらしたのじゃよ、と私なら書いてしまいそうだが、そんなのきっとダメなんでしょうね。
 ちなみに、はずきさんはその原因を召使の小母さんということにして論をでっちあげたらしい。
 うーん、思わぬ変化球。
 それにしても、課題に出された《悲劇》って、一体だれにとっての悲劇として出されたものなのだろう?
 私、勝手にヒースクリフの悲劇と思ってたんだけど。


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