運動会
わたしの心はかなしいのに
ひろい運動場には白い線がひかれ
あかるい娘たちがとびはねている
わたしの心はかなしいのに
娘たちはみなふっくらと肥えていて
手足の色は
白くあるいはあわあわしい栗色をしている
そのきゃしゃな踵(かかと)なぞは
ちょうど鹿のようだ
― 中野重治 「あかるい娘ら」 ―
今日は習志野三中の運動会。
途中のコンビニで缶ビールを買って見物に行く。
コンビニを出て中学に近づくと母親たちの自転車が次々私を追い抜いていく。
母親たちはもちろん皆私よりもずっと若い。
校門脇の臨時駐輪場は自転車で一杯。
玄関を抜けて入った運動場にはもうかなりの観客がいる。
私はまあ母親たちより背は高いし、下駄も履いてるから後ろからでもよく見える。
目の前を次から次と子供らが走って行く。
走り終わると、1,2,3と順位が書かれた旗の後ろに座ってみんな笑っている。
楽しいのだなあ、と思う。
楽しそうにしている子どもを見るのはいいものだ。
それにしても、女の子の体というのは中学生になると一生懸命走るのには向かなくなるものだなあと思う。
男の方はどんな遅い奴が走ったって違和感がないのに、女の子の方はわずかな例外を除いてそのほとんどが、見ている私にはなんだかとんでもないまちがったことをしているみたいに思えてくる。
本人たちが一生懸命であればあるだけなんだか不思議な気がしてくる。
あなたたちの体はもう「高速走行仕様」ではなくなってきているのにな、と思ってしまう。
もっとも、本人たちは走り終わると友だちと手を取り合って笑っているから、それでもきっと楽しいのだ。
本気に走るなんてことも、普通の人生じゃあ学校にいる間だけだから、彼女らが3年生ならおおかたあと3年ぐらいでやらなくなるんだろうけれど、たわいもないことに楽しく一生懸命になれるのはとてもいいことなんだろうと思う。
帰り道、引用の中野重治の詩、全くひさしぶりに思い出した。
そういえば、これは私の高校時代のテーマソングみたいなもんだったなあ。
もう、
わたしの心はかなしいのに
なんて、私は言わないけれど、跳んだり跳ねたり走ったり転んだり、あんなに一生懸命にしかも楽しそうに体を動かしているあかるい娘たちを自分から遠いものだと思うことだけは変わっていないみたいだな。
ところで、昼休み前に男子の「相撲」があって、前夜、2年生のユウキ君が自信満々、友だちに
「負けたらボウズになる!」
と宣言してたので、どれどれ、と見ていたら、なんと不覚にも自分より小兵の相手に負けておりました。
ふふふ、坊主頭、楽しみです。
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