広場の時計
さァ記念碑を鐕仰しよう、
最近の事件を論議しよう、
広場の時計でおれたちの時計を訂正しよう、
それから半時間ばかり腰をおろして黒ビールでもいかがでしょう。
― T・S・エリオット 「或る婦人の肖像」 (深瀬基寛 訳) ―
夕方雷雨だったので、夜来るはずの生徒たちが休むと連絡が入った。
実際には彼らの来るころには雨はすっかりあがっていたのだが、でも、これは、私には救いだった。
夕方、来ていた子供たちが帰った後、もう今日は何もしなくていいのだと思っただけで本当にほっとしたのだ。
毎日ほとんどひとりの時間がない生活というのに、たぶん私は相当疲れていたのだと思う。
と、言っても、世間で一般に生活している人たちに比べれば、たいして「働いて」はいないのだが。
それでも、普段が怠惰なだけに、やっぱりつらい。
だが、その夏休みももうすぐ終わる。
夕飯を食べた後、本棚からなんとなくドストエフスキーの『白痴』を引っ張り出して読み始めたら止まらなくなった。
やっぱりおもしろい。
今、その第一篇を読み終えたところだ。
これで、全体の4分の1ぐらいだろうか。
それにしても、何なんだろう、このドストエフスキーという人は!
文学というものが本当はとてつもなくおそろしい毒を持ったものだということをあらためて思う。
こんなものを本気で読めば、それは世間の人と折り合いは悪くなるに決まっている。
なぜって、自分の時計だけ〈広場の時計〉とちがったまま行動することになるのだもの。
どうしたってみんなとはズレてしまう。
とはいえ明日も朝の八時から子供たちの相手。
とりあえず、今からお酒を飲んで、眠る態勢に入って、私も〈NHKの時報〉に時間を合わせなきゃ。
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