夏休み終盤
「わたし、この世に代数と鼠さえなければ、どれだけ幸福かわかりませんわ」
― 井伏鱒二 『岬の風景』 ―
ここ2,3日の涼しさがウソのように、またまた暑くなった今日の昼過ぎ、午前中の授業が終わって畳の上に寝転んで本を読んでいたら、
「こんにちはー」
と開いているドアから高1のアイシャ君が入ってきた。
たしかムハンマドの細君もアイシャという名前だったはずだが、もちろん彼女はイスラム教徒ではない。
ブルカをかぶるどころか、夏中お日さまにさらしたらしい顔が真っ黒に焼けている。
ニコニコ笑いながら
「せんせ、ハイ」
と起き上がった私の目の前にあずき色の袋をつきだす。
袋には白く大きく《甲子園》の文字。
習高の応援に行っていたのだ。
顔も腕も黒いはずだ。
袋を開けてみると中には《甲子園カレー》というレトルトカレー。
なかなかうまそうである。
「宿題、全然終わってなくて」
そう言って、かばんから、なにやらいろいろなプリントやらワークの類を取り出す。
英語、数学、地理、古典。
化学のプリントまである。
なんでも、今日から来週の月曜から始まる新学期まで、彼女の部活はお休みらしい。
宿題をやれ、ということらしい。
よい、部活である。
というわけで、夕方6時過ぎまで、私が椅子で本を読んでる横で、せっせと課題をこなしていたが、英語、古典はともかく、数学は基本的な因数分解の公式すらすでに脳から蒸発してしまっていたらしく、こいつにはやたらに救援要請が来る。
「ああ、全然終わらない」
これはまだ3分の2が残っている。
化学は手つかず。
「やばい」などと口走りつつ、明日もまた来ると言って帰って行った。
まあ、正しい高校1年生の夏休みであるな。
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