団子虫
こころよ
では いっておいで
しかし
また もどっておいでね
― 八木重吉 「心よ」 ―
大石君が塾に初めて来たとき、私は部屋でアリジゴクを飼っていたそうである。
言われてみれば、たしかに何年か続けて、近くの神社の縁の下からつかまえてきたアリジゴク(砂にできたすり鉢の底をピンセットでつまむと簡単に捕まえられる)を瓶に入れて飼っていたことがあった。
大石君、よくそんなこと覚えているなあと思うが、彼にしてみればなにしろ緊張してやって来たはじめての部屋だし、それにアリジゴクなんて飼ってよろこんでるおじさんなんか見たこともないから記憶に残っているのだろう。
ところで、アリジゴクの餌は当然、アリ、だとあなた方は思うかもしれないが、アリというのはなかなか敏捷な昆虫で、せっかくアリジゴクのすり鉢の中に落としてやっても、アリジゴクがパッパと砂をかけている間にそのすり鉢の外に逃げ出すのがほとんどである。
まあ、アリジゴクはひたすら餌になる虫を待つだけの暮らしだから、1ヶ月ぐらい餌を食べなくても平気なのだが、それでもときどきは餌をやらないといけないので、そんなときはたいていダンゴムシをやっていた。
ダンゴムシは肢はたくさんあるけれど、いったんすり鉢に落ちると全然はいあがれない。
あえなくアリジゴクに体液を吸われて、死がいは外に放り出される。
でも、私がそんなに残酷に扱っていたダンゴムシにも実は心があるのだ、という本があった。
森山徹 『ダンゴムシに心はあるか」(PHPサイエンス・ワールド新書)
いやあ、おもしろかった。
口絵にある、短い触角をふりたてて迷路を行くダンゴムシの後姿の写真だけでものぞいてごらんなさい。
実にかわいい。
さて、このダンゴムシ、ちゃんと迷路を抜けられます。(まあ、これは生物の教科書にある「走性」みたいなものかな。)
でもね、ダンゴムシにも個性があるんです。
ドンくさいのもいれば、実直なのもいる。
いざとなったら壁を乗り越える奴もいる。(これはかなり異常。)
周りが水だと、水が嫌いなくせに(というかかなり致命的なのに)水に飛び込んで向う岸にはいあがるのもいる。(こうなるとほとんどめちゃくちゃな行動。)
・・・とまあ、語られる実験のどれもが実に楽しいのだが、この本で私が一番感心したのは、この著者が本のはじめに書いている〈心〉の定義です。
重要な事実は、ある対象がある行動をしようとするとき、さまざまな活動を誘発するような刺激が完全に排除された状況は自然界ではほとんどあり得ないということです。あらゆる対象は、「特定の行動を発現しようするとき、何らかの刺激によってさまざまな活動も不可避的に誘発されるが、それらに続く行動の発現を抑制することが要求され、それを実現している」のです。
このように、あらゆる対象は、余計な行動を発現するもととなる「隠れた活動部位」を備えています。そして、私はそれが「心の実体」と言えるのではないかと考えています。
著者は、心というものを行為を引き起こすものではなく、むしろ不必要な行為を抑制する「隠された活動部位」だというのです。
それがざわめく。
すごいなあ。
私、びっくりしました。
この定義は、私にはとてもインタレスティングで、いろんなことを考えてしまいました。
「本当の私」という奴の正体も見えてくるみたいです。
と言ってもこれでは何のことかわからないかもしれませんが、でも続けるとどうも、行ったっきりの「全面展開」になってしまいそうなのでやめます。
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