凱風舎
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モモエちゃん、やめて!

 

 

 突然、初江が信治のはうを向いて笑ふと、袂から小さな桃色の貝殻を出して、彼に示した。
「これ、覚えとる?」
「覚えとる」
 若者は美しい歯をあらはして微笑した。それから自分のシャツの胸のかくしから、小さな初江の写真を出して、許嫁に示した。
 初江はそっと自分の写真に手をふれて、男に返した。
 少女の目には矜りがうかんだ。自分の写真が信治を守ったと考へたのである。しかしそのとき若者は眉を聳やかした。彼はあの冒険を切り抜けたのが自分の力であることを知ってゐた。

 

     ― 三島由紀夫 『潮騒』 ―

 

 習高が勝ちましたな。
 金沢高校も惜しかった。
 なかなかいい試合でした。

 高校野球、今年もテレビでは応援席の女子高生たちが映ります。
 どこの高校であれ、ピンチになると彼女らは胸の前で両手を握りしめて、ほとんど涙ぐみそうになりながら試合を見つめている。
 ほんとに泣いてる子もいる。
 チャンスの時はメガホンを振ったり、歌ったりしなくちゃいけないからなかなかそうはできないけど、ほんとはチャンスでもあの姿勢を彼女たちはとりたい。
 それは、祈りの姿勢。
 そして彼女たちは本当に祈っている。
 男たちはめったなことではあんな姿勢はとらない。
 そのような場面でどうやら男は幸運を祈らないらしい。
 男たちは幸運をではなく、自分が(あるいは今現場にいる男が)力を発揮できることを祈るらしい。
 もちろん、女の子だってそうなのかもしれませんが、毎年、そんな応援席の彼女たちの姿を目にし、グランドで真黒になってプレーする選手たちを見ていると、私、いつも、今日引用した『潮騒』の最後の場面を思い出すんです。
 (実はなかなか好きな文章なんです。)
 
 実際、たとえばピンチを切り抜けてもあるいは誰かがサヨナラヒットを打ったとして、それが自分が祈ったせいだなどと言う女子高生はいないでしょう。
 でも、どこかで彼女たちは本気で思っているんです。
 わたしの(あるいはわたしたちの)祈りが通じたからだ、と。 
 そう思う一方で、それが自分たち応援している者の祈りのせいでもなんでもなく、これまで鍛えてきた自分の力によるものだと思っている男を頼もしく見るのでしょうな。
 
 
 ところで、今思い出したのですが、40年近く前、三本立て映画館金沢スター劇場に《百恵ちゃんシリーズ》を観に行ったとき、『潮騒』の山口百恵が裸になるシーンでガラガラの観客席からスクリーンに向かって
 「モモエちゃん、やめて!」
などというバカげた掛け声をかける男がいましたが、場内が明るくなってから見ますと、それは京都の大学に行っているはずの司氏であった、などということもありましたのでした。
 お互いまったくヒマな大学生でした。
 (と、語ったのは前野氏でしたでしょうか、勝田氏だったでしょうか。それとも別の?)


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