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秋の蚊

 

 

  まず手はじめに聞くが、人が疥癬(かいせん)にかかって、かゆくてたまらず、思うぞんぶんいくらでも掻くことができるので、掻きつづけながら一生をすごすとしたら、これもまた幸福に生きることだと言えるかね?

 

  ― プラトン 『ゴルギアス』 (田中美知太郎 訳) ―

 

 うーん、秋なのに蚊がいる。
 10月とは思えぬ暑さだもの。
 昨夜も刺されてしまった。
 蚊に喰われたところを掻きながら、そういえば、ソクラテスが「快楽とは果たして善であるか?」について問答しながら、かゆいところを掻きつづける快楽について話しているのがあったなあと思いながらまた寝た。
 で、今日ひさしぶりにそれが書いてある『ゴルギアス』を読んでみた。

 相変わらずおもしろかった。
 おもしろい、というのは、
   実際ソクラテスみたいなやつが近くにいたら、さぞイヤだろうな
というようななんだかニヤニヤするようなおもしろさで、プラトンは、ここでソクラテスの相手をしているカリクレスという男の苛立ちがよーくわかるように書いている。
 実際、わたしはどうやらカリクレスの徒であるらしい。
 そばにいたら、絶対ソクラテスに腹を立てる!

 とはいえ、ソクラテスはイヤな奴だが、ここで彼が持ちだしている問いは至極正しいような気がする。 
 だれだって、かゆいところを掻くのは実に気持ちのいいものだ。
 掻けば掻くほど痒くなり、いつまでも掻いていたい。
 けれども、だからと言って、一生そんなことをし続けるのは誰だって真っ平だろう。

 さて、だれだってそんなことをするのは真っ平なのに、わたしたちの多くは気づかぬうちにこれと同じことをやっているのではなかろうか。
 ふと掻いてみたらそれは快だった、だからまた掻く、するとますますかゆくなってまた掻く・・・・。
 搔痒依存症、なんて言葉はないし、まあ、そんな奴はいないだろうけれど、今日さまざまに名づけられている「〇〇依存症」とは、要は自らかゆいところを創り出している人びとのことを指すのだろう。
  
 ところで、だれも言わないけれど、今日の資本主義社会とは実は「経済成長依存症」の異名ではなかろうかとわたしは思っている。
 今ギリシアの問題でEUの首脳たちが集まっているそうだが、たぶん何一つ根本的な問題は解決されないだろうと思う。
 あれは実は、どこにももう酒がないのに、それを探し回るアル中患者の集まりみたいなものなのだ。
 たぶん、彼らはギリシアに対して救済策を出すだろう。
 いわばそれは「徳政令」というべきものになるだろう。 
 だが「徳政令」とは、経済のゼロ成長時代の必然として出されたものなのだ、と、昔誰かの本に書いてあった。
 だとすれば、もしギリシアに対する「徳政令」が必然なら、それは時代が明らかに変わったことの証しなのだ。
 世界の経済はもう低成長からゼロ成長へ、あるいはマイナス成長へとの時代向かっているのだ。
 そんな認識を今ブリュッセルに集まっている彼らは持てているのだろうか。
 それともここを乗り越えれば、また輝かしい成長があると思っているのだろうか。
 TPPに参加せねばならぬと言っている日本の人びともたぶん同じなのだ。
 時代の潮目が大きく変わったことへの認識が足りないのではないだろうか。
 250年続いた資本主義は行きつくところまで行きつくしつつあるのだ。
 ・・・などと、そんなことを私が言うのは、まあ全くのお門違いなのだが。

 そういえば、こないだ新聞に高浜虚子のこんな俳句が載っていたな。

   手をそれてとぶ秋の蚊の行方かな

 


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