沸点
その
藤富保男
一杯の酒とか
椅子が
風に吹かれて
あの
とか
なに
とか
その
とか
考えながら
酒を飲んでいた
のでないので
風を見ていた
のでもない
のである
としたら
という風に
この詩を書いている
それから
書かないでると
風がそんな風に
再び
椅子のまわりを
まわった
のでもない
のであった
と云っても
再び
そうである
「あの」があれば「その」もある。藤富保男さん。
だからどうした、と言われても困るけど
再び
そうである
と言われれば、なるほどそうか、と佐賀県知事の顔写真を新聞に見ながら思うのである。
どうやら、
のであったり
のでなかったり
しながら
という風に
政治や世の中のことはなっており、世間の人は
のであった
と納得して、そのままわけもわからずものごとは進むらしい。
だからといって、高校球児でもあるまいに一国の国務大臣ともあろう者が手に《忍》の一字を書いていたり、ましてや、議会で涙ぐむ、などという前代未聞の椿事に、だれも驚かないのにも驚く。
また、本人がそれを恥じぬのにも驚く。
他は知らず、あの涙だけで「大臣失格」、と私は思うのだが。
普通、水は100℃にならなければ沸騰しないが、気圧が低ければずっと低温で沸騰する。
たぶん日本の国の政治の気圧はずいぶん低くなっているのだろうな。
まあ、
元気もりもり、森田です!
を知事にいただいている千葉県民の私に何言う権利もないのですが。
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