立ち止まる
《あんなに駈けまわりながら、いまになって立ち止まったら、――それこそばか呼ばわりされるだろう。》
― トルストイ 『人にはどれほどの土地がいるか』 (中村白葉 訳)―
主人公のパホームという男は、はじめ小さな自分の土地を持っていた。
それから、隣に住んでいる未亡人から土地を買って、自分の土地を広げた。
そのうちもっと広い土地がほしくなって、新しい地面を買った。
それでも、まだ広い土地があるといいと思った。
あるとき、遠くにとても肥えた土地を見つけた。
しかも、そこでは一日の中に自分の足で歩いた足跡に囲まれた土地がすべて自分のものになると聞いて、彼は喜ぶ。
翌日夜明けとともに歩き始めた彼は、できる限り自分の土地を広く取ろうと足早に丘を下りる。
できるだけ遠くまで行き、そこを縦の辺にすると、そこから曲がって横の辺も十分に取って、戻ろうとするときもう時間はすでに午後の半ばを過ぎている。
必死になって戻って丘をのぼろうとするときもう陽は沈もうとしている。
息が上がり死にそうになりながら、彼はつぶやく。
《あんなに駈けまわりながら、いまになって立ち止まったら、――それこそばか呼ばわりされるだろう。》
つぶやきながら、彼は最後の力を振り絞って丘を駈けあがり日が沈む前に出発地点に倒れ込む。
「やあ、エライ!土地をすっかりとりなすった!」
下男が駈けよったとき、けれども、彼はすでに息絶えてしまっている。
そして、そのとき彼に必要だったのは彼の死体を埋める彼の身の丈だけの土地だった・・・というのが、トルストイが書いたこのお話である。
小学校のころ、子供向けの本で読んだ話だ。
いつまでも経済は成長しなければならないと思い込んでいる人たちを見ると、この話を思い出す。
立ち止まればいいのに。
立ち止まって、自分たちに本当に必要なものは何かを考えればいいのに。
立ち止まらない方がバカなのだ。
中国の高速鉄道事故に呆れている日本人は、今でも4時間もあれば行ける東京から金沢までに新しく新幹線を通して3時間にせねばと思っているらしい。
みんなその一時間を何に使うつもりなんだろう。
立ち止まればいいのに。
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