チラシ
文化産業はいつでも消費者に約束しておきながら、いつでもそれを裏切る。ストーリーと宣伝が振り出す快楽の約束手形は、無限に支払いが延期される。つまり約束というものが――あらゆる見本市の本質はそこにあるのだが――意地悪く意味しているのは 「それはけっしてそのとおりにならない」、「客はメニューを読むだけで満腹しなければならない」ということなのだ。きらびやかな名称とイメージによってかき立てられた欲望に対して、サービスとして提供されるのは、結局そこから逃れ出ようとしている灰色の日常への勧奨にすぎない。
― ホルクハイマー、アドルノ 『啓蒙の弁証法』 (徳永恂 訳) ―
夏休みが近づいて、新聞の折り込みに塾の夏期講座の広告が多くなった。
夏を迎える前に、夏は決まる。
「自ら学ぶ」を真剣指導。目指せ合格。
〇〇の夏期講習でどんどん伸びる!
夏を制する者は受験を制す!!
志望校が1ランク上がるそんな教室。
一人ひとりに とことん 個別指導。
とまあ、たくさんある広告を広げてみればこのような惹句。
あまり芸があるのもないが、それでも、効果があるから毎日毎日こんなにたくさん新聞にはさまっているんだろうな。
これで、受験生本人があせってくれれば、文句はないのだが、言うまでもなくこれらの広告惹句は本人ではなくお母さんに向けたものである。
もちろん、折り込みチラシを読むことにかけては年季が入っているお母さんたちは口コミ等も勘案しつつ様々に比較検討して塾を決めるんだろうが、うーん。
ホルクハイマ―とアドルノが意地悪く
「それはけっしてそのとおりにならない」
「客はメニューを読むだけで満腹しなければならない」
と言っているのは、残念ながらたぶんこれらの塾のチラシにも当てはまるような気がする。・・・
などと書くと、
そう言うあんたの塾はどうなんよ!
と言われそうだが、考えてみたらこの「凱風舎」という名前の塾は、いまだかつて「メニュー」があったことはなかったし、「約束」もしたことがない塾なのでした。
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