凱風舎
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 さびしくて絵本を膝にひろげれば斧といふ字に父をみつけた

                                  大村陽子

 

 今日は「父の日」だったそうだ。
 そこで、今日の引用は、女の人がある日思いがけず「父」を見つけたという短歌。

 ふだんは鈍重に黒光りしながら、ひとたび振り上げられれば鋭く何かを断ち切り、切り倒す斧。
 そんな《斧》という文字の中にひっそりといた「父」を見つけたとき、作者は、父であることのさびしさは、女である自分が感じているさびしさとは、全く異質のさびしさなのだと、たぶん気づいているのだ。
 そのさびしさは、さびしいと言えぬことをさびしいとも思わずにいなければならないさびしさだろうか。

 子どもにとって、抱き取る母親の思い出は胸であるのに対し、断ち切る父親の記憶は背中だ。
 何かを断ち切る者は、つらいとか、かなしいとか、さびしいとかいった己の胸をさらせば断ち切るべきものも断ち切れぬから。
 
 やさしい現代のパパの中にも斧がある。
 やさしい笑顔の奥に斧を手に持たねばならない者のさびしさがある。
  


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