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ほの語らひし

 

            

  ほととぎすそのかみ山の旅枕 ほの語らひし空ぞわすれぬ

                               式子内親王

 

              ― 『新古今和歌集』 巻十六 ―

 

  引用の歌の意味は、

    賀茂の斎院であったその昔(そのかみ)、賀茂の社に旅寝をしたとき
         その神山((かみやま)で聞いたホトトギスのほのかな語るようだった声が忘れられない

というような意味ととるのが正しいらしい。
 けれど、歌から受ける印象は、むしろ淡い恋の思い出のようだ。
 そのとき「ほの語らひし」者は、実はホトトギスではなく、私であり、そしてあなたであったような、そんな印象を持ってしまう。

 何とて、大したことを語るわけではない。
 それこそ、とりとめのないただの会話だ。
 けれど、そんなどうでもいいような話を交わしたことがかえって忘れられないものになる。
 その時の声の調子、表情さえも覚えていたりする。
 それは旅の夜、いつもと違う夜だからだ。

 それはなにも、恋人同士とは限らないだろう。
 男と女、とも限らないだろう。
 同性同士、宿に枕を並べて遅くまで語り合ったそんな昔の旅の夜のことも私たちはなつかしく思い出す。

 

 昨日、私の叔母の一人が癌で入院したという報せを受け取った。
 その突然の報せに私はひどく動揺した。
 母が同じように入院した時には、むしろ冷静でいられたのに。
 母の場合は、うすうす自分が覚悟していたからだろうか、それとも自分がしっかりせねばと思ったからだろうか。
 まだ幼かった私を預かってくれた若かった頃の叔母や、私の父や兄や母の通夜の折ずっとそばにいてくれていた叔母の姿を思い出し、切なくなった。

 ところで、子どもたちの手が離れたころから、母を含めた五人の姉妹はよくそろって温泉に出かけた。
 どんなことを話していたのか、もちろん私は知らない。
 けれど、今病室に一人寝ながら、叔母もまた、一つ部屋に寝ながら姉妹で何やかやとたわいもないことを語り合った昔をきっと思い出しているような気がする。

  ほの語らひし空ぞ忘れぬ

 人の思い出とは結局そうしたもののように思う。
 人生を肯定するとは結局そういうことを思い出とすることをよしとすることのような気がする。 


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