凱風舎
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この記憶に半減期があってはならない!

 

   いかりのにがさまた青さ
  四月の気層のひかりの底を
  唾し はぎしりゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ

 

   ― 宮沢賢治 「春と修羅」 -

 

 午後3時から、教育テレビで 

   《 「放射能汚染地図」 ーー 科学者たちに独自調査3千キロ走破 》

という番組を見る。
  国がまっとうな調査をしない(あるいは調査をしても公表しない)ので、放射線学者たちが自ら福島県内の放射線量を測定するのに同行したドキュメンタリーだった。
 科学者たちの手元の計器の針が振り切れるほどの放射線量がある地域で出会う地元の人たちの様子になんと言うべきか、言葉を失う。

 たとえば、50羽の鶏から始めて、50年かけて4万羽の鶏を飼うまでにした養鶏農家は、放射能が怖いと言うので業者から飼料が届けてもらえないという。
 そう語る、しわだらけのその老人が見つめる前で、たくさんのニワトリたちが餌のない餌箱をむなしく突ついている。
 そのお爺さんにはそれを見ているよりほかどうすることもできない。
  「とさか、黒くなったやつから、だんだん飢えて死ぬんだ。」
 見れば、たしかにそのニワトリたちのとさかには黒い斑点が出ている。
 三日後ふたたび尋ねた鶏舎に、もうどこからも鶏の声はしない。
 むなしく飢えて死んでいった何万という鶏のむくろ。 

 そこだけではない。
 牧場は馬を失い牛を失い、農家は田を失い畑を失い、皆あたり前の普通の生活が根こそぎ奪われていくのだ。
 これから、何年、何十年という単位で、住みなれた土地と暮らしから切り離されるのだ。
 かなしいことは同じだが、天災ならまだあきらめもつこう。
 けれど、いったいなぜ、こんなばかげた悲劇が人間の手によって引き起こされたのか。

 セシウム34とかいう放射性物質の半減期は30年だと言う。
 けれども、チェルノブイリの事故から25年、人の放射能への怖れの半減期はセシウムのそれよりずっと短かったのだ。
 エネルギーを使いまくることを豊かさだと思い込まされて、怖れを忘れたのだ。

 この福島のことはけっして忘れてはならない。
 この記憶に半減期があってはならない。
 そうでないかぎり、人は滅びる。

 ところで、汚染地域の人々は、事故から1カ月たっても正確な汚染の数値を国からは知らされてはいなかった。
 だから、わざわざ高濃度の汚染地域の集会所に避難していた人もいたのだ。
 国は、コンパスで描いた避難地域を指定しただけで、地形風向きによる高濃度の汚染にさらされている地域に対して何の対策もないまま放置していた。
 驚いたことに、まさにその集会所のあるその場所を文科省も調査していたのに、「風評を防ぐ」という一事のためにその測定地の地名は伏せられていたとはいったいどういうことなのだ。
  津田沼6丁目
と書いてあればわかるものを、《地点1》とか《地点2》とか表示された場所の線量が高くても私が避難するわけがないではないか!
 しかも、それを文科省はホームページに「公開」するだけで地元の自治体にも知らせなかったというのだ。
 津波の避難警報を死ぬまで放送していた娘さんがいると言うのに、いったいぜんたい、この国の役人は人の命を何だと思っているんだ!
 人々の生命・財産も守れないようなそんなばかげた国があるものか!

 ・・・と、まだまだ、子どもの被曝についてなど、驚くべき、いかるべきことは山のようにあるのだが、長くなるからやめる。
 でも、ほんとに、ひどいわ。


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