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「正義」の味方

 

 

 自己認識の欠如に気づかないとき、人は厚かましく、粗暴に、そして不誠実にさえなれる。

 

      ― エリック・ホッファー 『魂の錬金術』 (中本義彦 訳) ―

 

 この引用を読んで、
  ははあ、テラニシは世の政治家について書こうとしてるな
と思ったあなた。
 あなたは正しい!
 正しいが、残念ながら今回は間違っていた。
 全然違う話だ。

 夜9時からNHKスペシャル「クジラと生きる」という番組を観た。
 そこには和歌山県太地町のイルカ漁とその漁師たちを執拗に挑発する「シ―シェパード」などの反捕鯨団体の様子が映し出される。
 反捕鯨団体の連中はずっと漁師たちの目の前でカメラを回しながら、挑発的言動を繰り返す。
 たぶん、それに反発する瞬間を待ってユーチューブなどで、いかにイルカ漁を行う漁師たちが野蛮、粗暴であるかを流そうというのだろう。
 反捕鯨団体の人々の言動たるや、やくざである
などと言ったらやくざの人たちに怒られそうなほど連中のやることは不快である。
 やくざは、自分たちがやっていることが「よくないことだ」という認識だけは持っている。
 それがやくざの仁義というものだ。
 ところが、反捕鯨を唱える人たちは、おそろしいことに自分たちがよいことをやっていると思い込んでいる。
 自分たちの正当性を露ほども疑わぬ傲慢が見えていない!
 そんな思いあがった白人たちを見ていると、われにもあらず、つい地が出て
  えーい、このクサレ外道(げどう)が!
と、舌打ちしたくなる。

 漁師たちは必死に耐えている。
 耐えに耐えている。
 それを観ているわたしは、まるで、理不尽、無軌道、言語道断の外人レスラーの反則攻撃に耐えに耐えていた昭和30年代の力道山のプロレスを観ているような気分になる。
 けれど、力道山のプロレスとちがってここにカタルシスは訪れない。
  エイヤッ!
の最後の空手チョップがない。
 耐えるだけで終わる。
 彼らのあの理不尽に耐えていた漁師の人たちは本当にえらい。
 えらいが、一体なぜこんなことに耐えねばならんのだろう。
 
 そもそも、なぜこんないやがらせが日本で許されるのかがよくわからない。
 たぶん、日本人が「シーシェパード」の連中と同じことをやったら警察はその人を逮捕するだろう。
 国家や警察は市民の生活を守るために存在しているはずなのだが、どうやら治外法権はこの国にまだ存続しているらしい。

 いかなる「正義」であれ、「正義」を唱える人々はつねに自己省察を欠いている。
 反捕鯨団体の人たちはその格好の見本だった。
 牛を殺して血だらけのステーキを食いながら、イルカを殺すことを悪魔の所業のように言いたててこれが「正義」であると言う。
 彼らの「聖書」には家畜は人に食われるべく神様が造ったものとされているから、彼らは牛や羊の血に痛みを感じないらしい。
 人というものが他の生き物を殺して生きねばならぬ「業」を背負ったものだというふうには思わないらしい。
 

 それにしても、いかなる「業」であろうか、この頃の阪神の弱いこと!! 
 この番組の後のスポーツニュースをみて、今日もげんなりしました。


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