わたしはふしぎでたまらない。
わたしはふしぎでたまらない。
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。
わたしはふしぎでたまらない。
青いくわの葉食べている、
かいこが白くなることが。
わたしはふしぎでたまらない。
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。
わたしはふしぎでたまらない。
たれにきいてもわらってて、
あたりまえだ、ということが。
― 金子みすゞ 「ふしぎ」 ―
中学1年生が国語の教科書を開いてこんな詩を声を出して読んでいる。
くりくり頭の野球部たち。
「どした?」
と聞いたら、声をそろえて
「しゅくだーい。」
という。
なんでもこの「詩」を暗誦しなくちゃならないらしい。
バカな宿題を出すものだ。
こんな「詩」を覚えてどーする?
こんな「詩」を声をそろえて読む中学生を見て
キモチワルイ
と思わない奴はどうかしていると思うのだが、世の国語の先生はそうは思わないらしい。
世間はこんなのを「いい詩」だと思っている。
こんなことを言う子が「いい子」だと思っている。
アホウである。
こんなものは詩でもなんでもない。
クソである。
・・・と私は思うがそれは子どもたちには言わない。(中三ぐらいになると言う。)
同じ一年の教科書には草野心平の「河童と蛙」も載っている。
るんるん るるんぶ
るるんぶ るるん
つんつん つるんぶ
つるんぶ つるん
こんな言葉で始まるこの詩は、暗誦しろなどと言われなくても毎年子どもは覚える。
なぜか。
これがいい詩だからだ。
いい詩とはそういうものだ。
わけなんかわからなくても、思わず覚えてしまう。
ところで、一年坊主に出された宿題はもう一つあって、自分で
わたしはふしぎでたまらない。
で始まり、最後は
あたりまえだということが。
で終わる「詩」を作れというものらしい。
うーん。
どうにかならないんですか、この末期的症状。
そこで、私、子どもらに
わたしはふしぎでたまらない。
みんなそろって大人らが
勉強しろっていうことが。
わたしはふしぎでたまらない。
こんなつまらん「詩」を読んで
暗誦しろっていうことが。
てなこと書いとけばいいじゃん。と言ったら、子どもらは
「そんなこと書いたら、おこられる」
と言う。
これを怒るようでは国語教師の資格がないと私は思うんだが、子どもは過去6年間の小学校の教育で先生とはそう言うものだと何かを感じ取っているらしい。
たしかに、子どもらが思ってもいないこんなねぼけた「ふしぎ」をむりやりでっちあげさせ、その純真を装わせることが文科省が認定したこの教材の目的なんだろうなあ。
おお、イヤだ、イヤだ。
鳥肌が立つ。
けど、なんでそんなことさせるんだろう。
ホントにみんなこの「詩」が、キモチわるくないのかしら。
こんな「詩」ばかり書いていた金子みすずという人がキモチわるくないのかしら。
わたしはふしぎでたまらない。
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