うつたへに
ここに、昔へ人の母、一日片時も忘れねば、詠める。
住の江に舟さし寄せよ忘れ草
しるしありやと摘みて行くべく
となん。うつたへに忘れんとにはあらで、恋しき心持しばし休めて、またも恋ふる力にせむとなるべし。
― 紀貫之 『土佐日記』 (川瀬一馬 校注) -
亡くなった人は帰ってきません。
なげいても、なげいても、死んだ者は、帰ってきません。
けれど、帰ってこないことはわかっていても人は嘆かずにはいられないのです。
紀貫之は任地の土佐で幼い娘を亡くしました。
ダジャレばかりが続く『土佐日記』を文学にしているのは、その底に流れる亡き子へのいたみです。
数々のダジャレの陰に隠して語られる亡き子への思いが読む者の心をしんとさせます。
その『土佐日記』の中で、ようやく都への入り口大阪湾にまで来たとき、その子の母親に託して貫之はこう書きます。
《 ここで、死んだ女の子の母親が、ひと日片時の間も忘れられませんので詠みました。
住の江の岸に船をさしよせてくださいよ。
そこに生えている忘れ草に
死んだ子を本当に忘れさせる力があるかどうかと摘んで行けるように。
と詠みました。
けっしてあの子を忘れようというのではありません。
そうではなくて、恋しい気持ちをしばらく休ませて、もっと恋い慕う力にしようというためでしょう。》
これが、愛娘を亡くしたかなしみへの貫之夫妻の心のかさぶたの作りかたでした。
もっと強く恋い慕うためにしばし忘れてみよう、とはなんとかなしい心の動きでしょう。
けれどまたなんと正しい心の動きでしょう。
嘆いても嘆いてもせんないことだけれど、自分たちが嘆かねば、だれがあの子の死をいたむのだという思いがこんな歌を作らせます。
「忘れ草」という他からの「いやし」を自分がもっと強く嘆くための力に使おうというのです。
それにしても、愛する者をなくしたあと夜一人になると不安になって涙がわけもなく流れることを、なぜ今の人たちは見知らぬ他人に「ケア」してもらう必要があるでしょう。
不安になり涙がながれることこそが人のあたり前の心なのです。
くやしくて、かなしくて、どうしようもなくて、だから涙が流れるのです。
その心を大事にしないでどうやって生きているなんて言えるのでしょう。
何にもいやされることなく、ひたすら嘆き、悲しみ、時に駄々っ子のように地団駄を踏み声を上げて泣いているうちに、いつか人は自らの心をなぐさめるすべを身につけるのです。
血を流すからかさぶたはできるのです。
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