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ルール

 

 だれもがこの習慣を守ろうとして、恐ろしい叫び声を上げるのだ。だが、間もなくその騒ぎは静まる。理屈より時の方が考え方を変えさせるのだ。

 

       ー トマス・ペイン 『コモン・センス』 (小松春雄 訳) -

 

 前野さんはかつて格闘家であった。
 そして今も格闘技愛好家である。
  狼騎
という彼の俳号ならびに彼の珈琲店の名も、彼の得意技
  ローキック
にちなんでつけられたものである。
 さて、その前野さんのお店 《狼騎》のカウンターに座ると彼は私に様々な本を見せてくれるのであるが、あるとき格闘技に関する本を渡してくれた。
 その本を読んで、店を閉めて二人で飲みに行くまでの時間つぶしをせよというのである。
 しかたなしに読んでいると、その本にはおおよそ次のような実に興味深いことが書いてあった。

  ボクシング、相撲、柔道、プロレス、キックボクシング、空手・・・どの格闘技が一番強いか? という問いは無益である。
  またそれを合わせた「総合格闘技」が一番強いというのも間違っている。
  なぜならば、様々な団体がいかに「総合格闘技」と自称しようとも、すべての《格闘技》にはそれぞれのルールがあり、あらゆる格闘技の技術はそのルールの制約の中で磨かれるものだから。 
  

  なあるほど。
と思った。
 技術がルールの制約の中で発達するのは何も《格闘技》に限った話ではない。
 あらゆるスポーツはルールという制約があってはじめてその技術を向上させてきたのだ。
 小さなゴールに球を蹴り込む技術も、おそろしく曲がる球をバットで打ち返すこと技術もサッカーや野球がもつルールという制約の中で磨かれたものだ。
 そして、「制約」が技術を向上させることはなにもスポーツに限った話ではないことは、今日の日本の工業力も公害対策やオイルショック以降の省エネという制約の下でその技術を向上させてきたことを考えればわかることだ。

 原発を止めれば、エネルギー資源を持たない日本はダメになる、という議論はたぶんルールと技術との関係をわかっていない者の議論のように私には思える。
 これからは大量生産大量消費という20世紀資本主義のルールそのものが変わった新しい世界になるのだと思えばよい。
 手を使えないからサッカーがおもしろいように、棒っきれで小さな球をひっぱたいて芝生に掘ってある穴の中に入れるのがおじさんたちにはたまらなくおもしろいように、制約があることが新しい楽しみをぼくらに与えてくれるのだと思えばいい。
 その中で新しいぼくらの生き方という技も磨かれていくのだと思えばいい。
 それはやってみたら案外おもしろいかもしれないのだもの。


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