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むかい山

 

 

 同じ時期、七月なかばから八月にかけ、北陸の加賀、能登一帯に細民の一揆が起こった。
    (中略)
 金沢の城下でも窮民が二千人ほど、城の向い山、庚申塚のあたりに登って、城にいる藩主に聞こえるように、腹がへった、ひだるい、と叫んで女子供とも大声で夜中泣きわめいた。
    (中略)。
 百万石のお家が 「御国初め以来二百五十年の間に未曽有の変事」と称された。

 

      ― 大仏次郎 『天皇の世紀』 ―

 

 榎美菜さんがバーベキューを楽しんだと《おたより》にあった金沢の卯辰山は別名「向い山」と呼ばれている。
 司氏の俳句に添えられた「鯉流し」の写真の浅野川をはさんで、ちょうどお城の真向かいにあるからたぶんそう呼ばれているのだと思うが、標高百メートルほどだろうか、お城のある金沢のまん中の台地とはほとんど同じ高さで、兼六園から見れば、まさに指呼の間にある。
 そこに幕末の安政年間、米価の高騰に耐えかねた窮民が集まったと書いてある引用の部分を昔『天皇の世紀』で読んだとき、私は思わず大笑いしてしまった。
 だって、城に向かって皆が声を合わせて
   ひだるーい!(腹へったぁ!)
などと叫んだり泣いたりすることが、果たして《一揆》と呼べるのであろうか!
 幕末の飢饉については、この本の中でも、東北の南部藩の三万人もの百姓たちが集団で他国へ逃亡し(なんだか、今回の原発事故での集団移住と重なるね。昔から東北は政治と経済の過酷を一身に背負っていた感がある。)、遂には領主を屈服させるという一揆の様子も書かれているのに、加賀の国のこの悠長さはどうですか!
 よくもあしくもこの《生ぬるさ》が石川県の人情気風なのかもしれないが、ともかくこれが領内での初めての一揆であったというくらい、ここは豊穣の土地であったのだろう。
 
 言うまでもないが、飢饉は凶作から生じ、凶作は天候不順から生じる。
 加賀で「一揆」が起きた年も
   六月に入ると雨が多く、夏なのに秋のような冷気で
という具合
 世のバカ者どもは、テレビ、マスコミに踊らされて、「温暖化だ!温暖化だ!!」などと叫んでいるが、人類にとって怖いのは温暖化ではなく本当は地球の寒冷化であることは、すこし歴史を見ればわかることだ。
 もちろん、豊穣なる加賀の国に「一揆」が起きたのはそれだけではなく、幕藩体制という社会構造そのものの矛盾がきしみを立てていたことにもよるのは言うまでもないのだが、それでも、このバカげた温暖化キャンペーンの早く終わることを私は心から願っております。
  


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