いたむ
哀子 金 亨柱
基珉
― 2007年7月13日 韓国の新聞の死亡広告 -
今朝の新聞の一面に両陛下が津波の被害を受けた南三陸町の市街地跡に深く黙礼されている写真が載っている。
両陛下のそのお姿に粛とした気持ちになるのは何も私だけではあるまい。
それは、私たちがお二人の姿に、亡くなられた人々へのかりそめではない心からの深い哀悼の気持ちをはっきりと受け取るからに違いない。
政治は死者のためのものではなく生きている者たちのためであることは言をまたない。
けれども、死者たちもまた、わたしたちの胸の中で生き続けることを望んでいる。
そのことを政治は忘れてはいけないのだと思う。
静かに頭を垂れるお二人の姿は、亡くなった人の死を悼み、その死を忘れないことから「復興」も「復旧」も始まらなければならないことを私たちに静かに語りかけておられるように私には思えた。
亡くなった人たちを忘れてはいないことが、わたしたちの日々の暮らしはもとより、政治のどこかにも反響していなければならないのだと思う。
政治を「まつりごと」と呼ぶやまと言葉の意味はそういうことだろう。
目に見えぬものに対する畏れと敬意がそこになければならないということだ。
今日の引用は、昔、勝田氏の奥さんと娘さんが韓国に行った時のお土産に持って帰って来たという韓国の新聞の死亡広告を勝田氏がコピーして送ってくれたものだ。
かの国では、父母を亡くした子どもが、たとえいかに年を取っていても、
哀子
と呼ばれていることに私は素直に感動した。(たぶん勝田氏も同じだったから私に送ってくれたのだと思う。)
まことに、親を亡くした子を、哀子、と言うよりほかになんと呼ぼう。
だが子を亡くした親の心を何と呼ぶべきか私は知らない。
今日、108人の生徒のうち74人の子どもが亡くなった小学校の慰霊祭があったと言う。
死者を悼み、残された者の愁傷を思いやれる人であり国でありたいものだと思う。
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