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スターとアイドル

 

  撰ばれてあることの
  恍惚と不安と
  二つわれにあり
                  ヴェルレエヌ

      ― 太宰治 『葉』 ―

 

 田中好子氏が亡くなったというのでFMラジオがキャンディーズの歌を流していた。
 昔聞いたことがあるから、知らない歌ではないが、あらためて聞いてみて、
  ひどいなあ
と思った。
 歌詞も、メロディーも、それを歌う彼女たちの歌唱力も。
 相当にひどい。
 聞き続けるに堪えなくなってラジオを消したのだが、そのあと、けれど、ひょっとすればこれがよくもあしくもぼくらの《70年代》というものだった、ということなのかもしれないと思ったりした。

 キャンディーズが解散する時、彼女たちは
   普通の女の子に戻りたい
と言ったらしいが、そもそも傑出した容姿も才能も持たなかった彼女たちはどこからどこまではじめから「普通の女の子」でしかなかった。
 思えば、「普通」であるがゆえにアイドルになりうる、という今に続く逆説が形を取り始めたのが70年代だった。
 少なくとも女の子にとって「普通」であることがアイドルの必須の条件となったのが70年代だった。
 高くあるものが仰ぎ見られるものではなく、自分たちと同じ地平に立っていると感じられるものが愛される時代が始まったのだ。
 彼らはいつの間にかはスター(星)からアイドル(偶像)へとその呼び名を変えていた。

 ヴェルレエヌが歌い、太宰が引用した
   撰ばれてあることの / 恍惚と不安
とは、いまだ形を取ってはいない自らの内にある才能への自覚へのそれであった。
 それに対し、同じく彼女たちを襲ったであろう恍惚と不安は、ゆえなくすでに自分たちを選んでしまった運に対するものであったろう。
 私はキャンディーズとそのメンバーに関してなんらの興味も関心も一度も持たずに来たので、何一つ語るべきこととてないのだが、彼女たちが
   普通の女の子に戻りたい
と言ったということは、自分たちがゆえなくして選ばれたことへの「普通の女の子」としての不安の表明だったのだろうと思う。
 彼女たちの引退表明が、それまでどうひいき目に見ても一流半ぐらいのところにいた彼女たちの人気を一気に高めた理由は
   普通の女の子に戻りたい
という言葉の中に人々がに彼女たちの中にある「普通の女の子」を見たからに違いない。
 その言葉の中に「アイドル」がまさしく自分たちと同じ地平に立っていることの証明を見て人々は熱狂したのではなかったろうか。
 そのとき彼女らは名実ともに「アイドル」になったのだと思う。
 その後の彼女たちの芸能活動については全く知るところがないので語ることはない。

 それにしても今回最も驚いたことは、彼女たちが私とほとんど年齢が違わないことであった。
 私より10歳ぐらいは若いのだろうと思っていた。(それぐらい無縁だったということだが。) 

 ところで、テレビを見ていたら彼女の死を、早すぎる死、と言う軽率な人もあったようだが、55歳での死を早すぎるとは私は全く思わない。
 どのような人生であれ、55年は一生と言うに十分すぎる年月のはずだと私は思う。
 それは、その死を悼む、ということとはまた全く別のことだ、ということは言うまでもないことも書いておく。
 キャンディーズの他の二人にとっても、彼女の死は悼むべきことではあってもそれが早すぎるとは思っていけない、と思っていたのではないかと思う。
 葬儀場での二人の様子は、少なくとも彼女の死を、早すぎた、などと思わずにいてあげられるほどに賢明な方たちに私には見えた。
 もしそうなら、癌という病気が田中さんのみならず彼女たちにもそういう心の準備をさせてくれたのだと思う。
 癌という病のすばらしさ、などと言えばみんな変に思うかもしれないが、現代において、癌ほど人を人がましくさせてくれる病気はないように私は思うのだが。 
 


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