凱風舎
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2,227日

 

    誰にでも起こりうるのだ―― 誰かに起こりうる出来事は。

 

      ― セネカ 「心の平静について」 (茂手木元蔵 訳) -

 

 風が強い。一ンち部屋にいた。窓を閉じた部屋にフリージアの香りがほのかにある。ヤギコはひねもすホットカーペットの上に身を伸ばしている。
 セネカの本を読んでいた。読めば力が湧く。

 全く話はとぶが。
 今から2年前のある朝、起きているのか夢の中なのかよくわからない頭の中で、なんのゆくりもなく
  「あと3,000日かあ。」
と思ったことがあった。
 何でそんなことを思ったのかさっぱりわけがわからないのだが、自分がこれから生きていられる日数のことである。
 そのまま、すっかり忘れていたのに、翌朝、やっぱり半分起きて半分寝てるみたいな頭が
  「なんか、昨日,あと3,000日だなんておもってたなあ。」
なんてこと思い出して
  「てことは、今日であと2,999日なんだな。」
と思うと、わけもなく、愉快になった。
 というわけで、別に何の根拠もないただの《夢のお告げ》なんだが、なんだかおもしろくってその日から毎朝日記にカウントダウンした日付をつけるのが習慣になっている。
 カウントダウンの数字が2800、2700とその数字が100減ると
   おお!
と、うれしくなるのも変だが、なんとなく愉しい。
 で、今日で残りが表題の2,227日。

 もちろんこの数字に何の根拠があるわけじゃないから、それ以上生きるかもしれないし、その前に死ぬかもしれないが、こうやって、自分がいつまでも生きてるものじゃないというあたり前のことを毎朝確認するのはワルイことじゃない。なんとなく、いつまでも生きてるつもりなのとはちがって、少なくとも今日は残り2,227分の1日なんだなという気分にはなる。
 もっとも、これによってあんたの生き方が変わったのか、と言われれば、全然変わっていないことは、毎朝の二日酔いを思えばわかるんだが、でも、それまで以上に生きているのが楽チンになったことはたしかだ。(だからと言って、楽チンに生きることがいいかどうかはしらないけど。)

 「悟り」なんてむつかしいことは私はわからないが、でも、それって、要は「自分は死ぬよ」ということをわかってるってことだろうと思う。
 それ以外、何もない。
 じゃあ、かく言う私は、と言えば、もちろんわかっていない。
 ホントに「死ぬよ」と言われたらジタバタするに決まっている。
 でも、いいのである。
 もちろん、ジタバタしない方がカッコよさそうだが、ジタバタして死ぬのもワルクナイと思っている。
 生きているというのはたぶんそういうことだから。

 もちろん、あと2、227日、善く生きたいと思っている。
 そう思って、日数を書いてる。
 でも、なんとなくダレてるとき、セネカなんかを読み返すと元気なる。
 いい人になりたくなる。    

 

  今日の短歌

   人あらぬ野に木の花のにほふとき風上はつねに処女地と思ふ

                                        今野 寿美


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