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愛知

 

われわれがしたがわなければならぬのは、君が信じてこのぼくに勧めているような、あんな言説ではない。あれは、なんの価値もないものなのだからね、カリクレス。

 

― プラトン 『ゴルギアス』(田中美知太郎 訳)―

 

よせばいいのに、昨日の午後三時から国会の党首討論の中継を見てしまった。
わかっていたのに、おかげで、私はたいそう不快な気持ちになってしまった。
長らく映像を見ることを忌避していた安倍という首相の言葉、表情、身ぶり、そのすべてが不快だった。

いったい、どうしてあのような不誠実な男がこの国の首相なのであろうか。

静まらぬ心、鎮めるべく、夜、「弁論術および正義の意味について」という副題がついているプラトンの『ゴルギアス』を読み返した。

そこに見えてくるのは、今から2,400年以上も前のギリシアでも、安倍晋三や橋下徹のように、その場の議論で恫喝まがいの言説やはぐらかしで相手に尻尾を掴ませないことが、議論における勝利であり、なおかつそのことが、あたかもその論とその論を述べた者の「正しさ」であるかのように見せかける男たちが大手を振ってのさばっていたということである。

 

カリクレス。君が褒めたたえている人物たちというのは、あれは人々が欲しがっているものをふんだんにご馳走してもてなす連中なのだ。
しかも世人たちは、そういう人物たちが国を大ならしめたなどと言っている。他方あのむかしの政治家たちのために国はむくんで脹れあがり、病が内攻して膿み腐っているという事実には世人は気づかないのだ。あのむかしの政治家たちは、節制や正義を顧慮することなしに、港湾だとか、船渠だとか、城壁だとか、貢租だとか、そう言った数々の愚にもつかぬもので国を腹いっぱいにしてしまったのだからね。

 

そうなのか、と思う。
人は2000年くらいでは変わりはしないのだ。
このソクラテスの話の中の「港湾だとか、船渠だとか、城壁だとか、貢租だとか」の代わりに「原発だとか、オリンピック招聘だとか、集団的自衛権だとか、株価値上がりだとか」と入れれば、何もこれは昔の遠い国の話ではない。
猿に限らず、朝三暮四と、自分と自分の市や国が立派らしく見えることを、人は、よろこぶらしい。
ばかげている。
ばかげているが、それが古来変わらぬ、人というものだ、と思えば、厭世の気分、すこぶる強い。

けれども、周囲の誰もが「善きもの」を「快さ」の指数をもって測ろうとしている中にあって、ほんとうの善きものについて真摯に考え、その事に関して、たとえ多数を以てしても、死をもってしても譲らないソクラテスという人がいたことをプラトンは伝えている。

彼は絶望しない。
人々に対してではなく自分に。

やはり、私は、感動した。


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