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《徒然草》  第六十一段

 

御産(ごさん)のとき甑(こしき)落す事は定まれる事にあらず。
御胞衣(おんえな)とどこほる時のまじなひなり。
とどこほらせ給はねば、この事なし。
下ざまより事おこりて、させる本説なし。
大原の里の甑を召すなり。
古き宝蔵の絵に、賤しき人の子を産みたる所に、甑落したるを書けり。

 

宮中で出産の時、甑(こしき)を落とすというのは、かならずそうすると決まったことではない。
子どもを出産した後の、後産である羊膜や胎盤がなかなか出てこない時のまじないである。
それがすぐに出てきた時は、このことはしない。
これは下層の人々の間で行なわれていたことで、これといった根拠はない。
この甑落としには大原の甑を使う。
古い宝物蔵にあった絵に、身分の低い者が子を産む場面で甑を落としているのが書いてあった。

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甑(こしき)というのは、岩波の古語辞典によれば、

こしき【甑】
米などを蒸す道具。
鉢や甕の形で底に湯気を通す穴がある。
弥生式時代から始まり、古くは素焼の土器。
奈良時代から木製のものも使われた。
今の蒸籠(せいろ)。

とある。

兼好が書いている甑が、はたして土器であるのか、木製であるのか、私にはわからない。
ともかく、これを屋根のてっぺんから転がし落とすらしい。
木製なら、そのままだろうが、もし瓦製なら割れるだろう。
(大原というのは、山里で、大原女(おはらめ)と呼ばれる女行商人が、頭に載せた新炭を都に供給していたという話は聞くが、土器も作っていたのかどうかはわからない。
山里なら、木製品だったのだろうか)

さて、そのように甑を落とすことが胞衣(えな)などの後産を促す事になる理由に関して、兼好は「させる本説なし」としているが、ほんとうにそうなのだろうか。
そこには、まちがいなく何か理由があるはずである。
(ちなみに、私の持っているテキストでは「大原の甑」を使うのは「大原」が「大腹」(!)に通じるからだという、と頭注に書いてあったが、甑を落とす理由そのものについての注は載っていなかった。)

その事についての考察は長くなりそうなので稿をあらためて書いてみようと思う。


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