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《徒然草》  第二十九段

 

しづかに思へば、よろづに過ぎにしかたの恋しきのみぞせんかたなし。

人しづまりて後(のち)、長き夜のすさびに、なにとなき具足とりしたため、残し置かじと思ふ反故(ほうご)など破(や)りすつる中に、なき人の手ならひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、ただ、その折のここちすれ。
このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふはあはれなるぞかし。
手なれし具足なども、心もなくて変わらず久しき、いとかなし。

 

しずかに思えば、何かにつけて、過ぎてしまった日々が恋しく思われてくるのはどうしようもないことです。

人が寝静まったあと、眠れぬ夜の気まぐれに、なんということもない身の回りの品々を取り片付けながら、こんなものはもう捨ててしまおうと思って、自分が昔書いた書き損じの紙などを破り捨てているとき、その中に、いまはもう亡くなってしまった人が書いていた文字やいたずら書きの絵などを思いもかけず見つけたりすると、その人がそれをかき、私がそのそばにいた、まさにその時間がいきいきとよみがえってくるような思いがします。

いま現に生きている人の手紙でさえ、それから何年も経ったものをなにげなく手にとってよみかえして、これはどんなことがあったいつの年にもらった手紙だったろう、などと思ったりするのは、しみじみとした気持ちになるものです。
ましてや、いまはもう亡くなってしまった人が日頃使っていて、そのまま残された、なにげない物などは、物というものが心というものを持たないゆえ、かえって変わりもせずに、かつての姿のままでありつづけているので、なおさらにその人がそれを使っていたその折々が思い出され、たいそう、せつなくいとおしいものに思えます。

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この段の中に出てくる「なきひと」とは、単に亡くなった知人とか友人というのではなく、どうやら家族のことを指しているようだぞ、ということに、今回このように「徒然草」を訳してみるまで、迂闊にも私はまるで気付かずにおりました。
たとえ、家族ではなくとも、すくなくとも、これは、ある期間をともに暮らしたことのある、自分の愛していた人を指しているのでしょう。
一緒に暮らした日々があるからこそ、捨てようとした自分の書き反故(ほご)の中に、その人の反故もまじっているのでしょう。

兼好にとって、その「なきひと」というのが、自分の恋人だったのか、妻だったのか、あるいは彼の子どもなのか、はたまた自分の父母であったのかはわかりませんし、そのような個人的事象が特定されるようなことを、兼好は常に回避しつつ書く人ですが、ここに書かれている「手ならひ」とか「絵かきすびたる」などという言葉から、それが、彼よりも早く亡くなってしまった彼自身の子供のことなのではないかという気がしてきます。
とはいえ、彼が子どもを亡くしたということが、事実としてあることなのかどうかさえ、私は知りませんし、これは上に書いたこと以上に深い根拠もないことなのですが・・・。
それに、この「絵」というものにしても、ひょっとすれば、若い男女の

あなたは もう 捨てたのかしら
二十四色のクレパス 買って
あなたが描いた 私の似顔絵             (「神田川」)

といった類のものだったのかもしれません。
まあ、いずれにしろ、ここに書かれていることは、子どもに限らず、亡くなった者の遺品を目にしたときの私たち皆が持つ感情だと言えるでしょう。

ところで、この段の終りの

 手なれし具足なども、心もなくて変わらず久しき、いとかなし。

という文の中の最後の「かなし」という語は、「悲しい」という意味ではなく、「愛しい」という意味なのだと思います。

この文を読むと、たとえば、テレビなどで時折目にする、震災や事故で子を亡くした家の仏壇の脇に、ランドセルなどが大切に置かれている映像などが思い出されます。
このとき、ランドセルは、亡き子を思い出させるがゆえに「悲しい」ものであるにもかかわらず、逆にその子を思い出させてくれるものだからこそ親たちにとっての「愛しい」ものになっています。
それは「悲しさ」をもたらすものであるがゆえに、かえって「愛しい」ものとして大切にされます。

「悲」も「愛」もかつては同じ一つの「かなし」という語で呼んだ国に私たちは生きています。

 


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