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《徒然草》  第二十七段

 

御国ゆづりの節会(せちゑ)おこなはれて、剣・璽・内侍所わたし奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。

新院のおりさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや。

殿守(とのもり)のとものみやつこよそにしてはらはぬ庭に花ぞ散りしく

今の世のことしげきにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。
かかる折にぞ、人の心もあらはれぬべき。

 

天皇が位を譲られ、三種の神器を新しい天皇にお渡し申し上げるときというものほど、しみじみさびしい思いがすることはありません。

花園上皇が、天皇の位をおおりなされて新院となられ、後醍醐帝に位を譲られなされた春に、このような歌を詠まれたとかいうことです。

《殿守のとものみやつこよそにしてはらはぬ庭に花ぞ散りしく》

(御所の整備清掃をする主殿寮(とのもりょう)の役人たちは、新たな帝の住居の方に行ってしまって、誰も掃き清めることもない庭に桜の花びらが散り敷いていることだ)

新しい天皇が始められた治世の政務が忙しいことにまぎれて,新院のもとに参上する人もいないのは、ほんとうにさびしいことです。
このような時にこそ、人のほんとうの心というものが現れてしまうものなのでしょう。

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いきなりですが、この段に出てくる花園上皇とは、こんなお方です。

 

 

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で、その御顔をもうちょっとアップすると、こんなです。

 

 

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「うーん」 とお思いになりましたか?

 

なんだか、マンガみたいな絵ですね。
でもね、この絵、国宝なんです。

で、「うーん」ならばまだいい方で、橋本治氏なんかは、もっと直截に、この《花園天皇像》を見たとき

我々はちょっとだけギョッとするのである

と書いています。(『ひらがな日本美術史 2』)

なぜ、ギョッとするのかと言えば、このとんでもなくヘンテコリンな顔をした人物が「天皇」だということを、絵のタイトルの中に発見するからである。
「天皇といったら、昔はこの世で一番偉い人だろう?そういう人をこんな風に描いてもいいのか?もっと他に描きようがなかったのか?」などと思う。

そうですよね。
「とんでもなくヘンテコリンな顔」とまではいわないまでも、まあ、「うるわしきかたち」の方とはいいがたい。

まず、第一に目がたれている。
かつ、その瞳が小さい。
それから、すこし出っ歯気味。
あごが前にしゃくれている。
おでこが張っている。
頭の鉢が開いている。

・・・・とまあ、アラをさがせばいくらでも出てきそうなお顔である。

ヘンテコリンといえばヘンテコリン。
ひかえめに言っても、どうも、パッとしないお顔です。

で、天皇なんだから、ダヴィッドの描いたナポレオンみたいに、とまでは言わないけれど、もうちょっとなんとかしてあげればいいのに、と思う。

でもね、この絵の左端には、花園天皇自らが筆を執った賛が書かれているんです。
曰く、

 予之陋質 法印豪信(故為信卿息)所図也

訳すとこうなります。

 これは、私のダメなところを、死んだ為信卿の息子の法印豪信が描いたものである。

以下、これに関して橋本治氏はこう書いています。

たとえ、当人が謙遜で使うにしろ「陋質(ろうしつ)」という表現はすごい。
これは「精神的な卑しさ」も含めた、「醜い特徴」ということだから。
「自分がへんな顔をした人間だと見られている」ということを花園天皇自身はよく承知していた。

似顔絵というものは、写真とおんなじで、描かれる本人が、とてもその出来を気にするものである。
まわりの人間が「そっくりだ!」と言って感嘆するものを一番いやがるのは、当人なのである。
そっくりに描かれた絵を目の前にして、描かれた当人は、「ここが、もう少しなんとかならないかな・・・・」と、空しい抵抗を試みる――あるいは描いた画家をクビにする。
そういう意味で花園天皇は、いくらでも画家の豪信をクビに出来る立場にいた人なのである。

それが、花園天皇はすんなりとこの絵のよさを認めている。
「私のダメな部分がちゃんと描かれている」と言ってこういう肖像画を認めた、素晴らしい人なのである。
私は前々章に、「ホントにこんな風に描いて怒られなかったのか?」と書いているが、花園天皇は怒らなかったのである。

どうです?
素晴らしいお方でしょ。

 

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ちなみに、上の絵は、高校生の世界史の資料集に載っている、元を滅ぼし、明を建国した朱元璋の二枚の肖像画です。
どうやら、顔が異様に細く、あごがしゃくれ、怒りっぽく目がつり上がったあばただらけの、右側の肖像が実像らしいのですが、彼は後に、自分の顔を左側のように、耳の形以外、自分とどこも似ていない円満有徳の顔に描き直させたものらしい。

それにひきかえ、わが花園天皇の謙虚さはいかがですか。
治天の君たるものが、自分のあまりパッとしない顔をそのままに描いた肖像画に対して

予の陋質 法印豪信(故為信卿息)の図する所なり

なんて、なかなか言えるものではありません。
(もっとも、花園上皇はずっと「新院」のままで、いわゆる「治天の君」にはなれなかったのですが)

望んでも無理かも知れませんが、髪をくろぐろと染めて若ぶっておられる、今の大臣、代議士諸君にも見習っていただきたいものです。

というわけで、わたくし、今上天皇とともに、この花園天皇をも深く敬愛しておる次第ですが、最後にこの「花園天皇像」について橋本治氏が書いている最後の言葉を共感をこめて写しておきます。

 

 こういう絵が国宝として存在している日本が、私はとても好きだ。

 

 


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