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《徒然草》  第二十二段

 

何事も、古き世のみぞしたはしき。
今様(いまやう)は無下(むげ)にいやしくこそなりゆくめれ。
かの木の道の匠(たくみ)の造れる、うつくしきうつは物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

文の詞(ことば)などぞ、昔の反古(ほうご)どもはいみじき。
ただいふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。
「いにしへは、『車もたげよ』『火かかげよ』とこそ言ひしを、今様の人は『もてあげよ』『かきあげよ』といふ。
『主殿寮(とのもれう)人数(にんじゆ)たて』と言ふべきを、『たちあかししろくせよ』といひ、最勝講(さいしょうかう)の御聴聞所(みちやうもんじよ)なるをば『御講(ごかう)の盧(ろ)』とこそいふを、『講盧(かうろ)』といふ。
口をし」
とぞ、古き人は仰せられし。

 

どのようなことでも、古い時代のものが慕わしくおもわれます。
現代風のものはむやみに品がなくなっていくようです。
あの、木から物をつくる職人(指物師)が造るうつくしい器の類も、昔からの古風なかたちのものほうが、おっ、いいなあ、と思われます。

手紙の言葉なども、昔書かれた反故(ほご)の中にあるものはすばらしい。
ただ無意識に言っているような日常の言葉も、だんだん、なさけないものになってゆくものです。

「むかしは、牛車の轅(ながえ)に牛をつけるとき『車もたげよ』と言い、燈火の燈心を掻き立てるのに『火かかげよ』と言ったものなのに、今の人たちはただ『もてあげよ』とか『かきあげよ』などと言う。
宮中の雑務をつかさどる者たちに、松明(たいまつ)に火をつけ明るくしなさいという時には『主殿寮(とのもれう)人数(にんじゆ)たて』(主殿寮の者たちよ、立ちあがって火をともせ)と言うのがほんとうなのに、今はただ『たちあかし、しろくせよ』(松明に火をともせ)と言うし、金光明最勝王経を宮中で講ぜさせるとき、天皇がそれをお聞きになられる御座所は『御講の盧』と言うのが正しいのに、『講盧』とだけ言う。
いただけませんなあ!」
と、昔のことをよく知っている、年をめされた或るお方がおっしゃっておりました。

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どうでもいいことですが、私の母の実家がある石川県鹿島郡中能登町(旧・鹿島町)には、この段に出て来た「最勝講」と言う名前の集落があります。
この場合、その読み方は「サイショウキョウ」ではなく「サイスコ」です。
そこには私の叔母の一人が嫁いでいて、我々親戚の中で、たとえば私が「テラマチのひろし」と呼ばれるように、その家の従兄弟たちは、母親が嫁いだ先の苗字ではなく「サイスコのだれそれ」と呼ばれています。

ところで、能登の農村地帯に、宮中でおこなわれる国家安穏を祈願する仏事の名を冠した地名が付いているのはなぜなのでしょうか。
能登の国分寺は七尾にあるはずですが、最勝講の近くには能登の二宮(にのみや)がありますので、ひょっとしたら、そこでも鎮護国家を願って、金光明最勝経の「最勝講」が行なわれたということなのでしょうか。

それにしても、「サイショウキョウ」の読みが「サイスコ」に短縮されているところもなにやら味わい深い気がします。
ひょっとしたら、実はこちらの方が古く正しい読みなのではと思ったりもします。

 

とはいえ「サイスコ」というのは、子ども心に、妙なひびきだ思ったものでした。
金沢という城下町に住んでいれば、どこも「寺町」とか「長町」とか「味噌蔵町」とか「笠市町」とか、かならず「まち」とか「ちょう」とかが地名に付くのが普通だったので、奇妙に思ったにかもしれません。
とはいえ「サイスコ」の響きは異国風です。
おかげで、と言ってはなんですが、私は、高校生のころ世界史で習った、今の中東の混迷の因を作ったと言われる第一次世界大戦中の「サイクス・ピコ条約」を「サイスコ・ピコ条約」と覚えてしまっていました。

 

 


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