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《徒然草》  第十二段

 

おなじ心ならん人と、しめやかに物語して、をかしきことも、世のはかなき事も、うらなくいひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違(たが)はざらんと向ひたらんは、ひとりあるここちやせん。

たがひに言はんほどのことをば、「げに」と聞くかひあるものから、いささか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など、あらそひにくみ、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、すこしかこつかたも我とひとしからざらん人は、大方のよしなしごと言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たるところありんべきぞ、わびしきや。

 

もし、おなじ心の人がいたとして、その人と、もの静かに話をして、興味のあることも、この世のはかないことも、心おきなく話して心が慰められるということがあれば、それこそうれしいことなのでしょうが、そういう人はいるはずもないので、結局、おなじ心ではない人と対坐することになってしまうのですが、そのような相手と、意見が少しもちがわないようにしていようと対坐しているのは、まるで独りぼっちでいるような気がするでしょう。

おたがいに言いたいと思うほどのことは、「なるほどなあ」と聞く価値はあるにきまっているのに、ちょっと意見が異なる点があるようなひとに限って「わしはそのように思おうか、いや思わない!」などと、言い争って相手をとがめるのです。 「こうだから、こうだ」とでも、軽く話をすれば、なんとなく索莫とした気持ちもなぐさめられるだろうと思うのですが、実際には、世の中に対してのちょっとした不平といったようなことでも自分と同じではない人とは、世間一般のどうでもいいような話のうちはまあいいけれど、それ以上の話はできないので、ほんとうの意味での心の友というには、はるかに隔たったところがきっとあるにちがいないのは、わびしいことです。


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