イエユウレイグモ
私が[空瓶の]センをとつた時、蜘蛛は、実際に、間髪を容れず、という素速さで脱出した。それはスタートラインで号砲を待つ者のみが有(も)つ素速さだつた。
― 尾崎一雄 「虫のいろいろ」―
私はこのごろ風呂場に一匹の蜘蛛を飼っている。
まあ、「飼っている」といっても、実は蜘蛛の方が「勝手(に)いる」のであって、それを人間の方にまったく駆除する気がないというだけの話である。
そいつはほっそりとした体にやけに肢の長い蜘蛛で、湯を張ろうと私が明かりをつけて風呂場に入ると、やれやれというように、その細い肢をゆっくり動かしながら隅の方に退散していく。
動作が鈍いのはあんまり肢が長すぎるそのクモ生来のものなのか、それともこのごろの寒さのせいなのかはわからない。
尾崎一雄は「虫のいろいろ」の中で、閉じ込められていた蜘蛛の逃げ足の速いことに感嘆しているから、要するに風呂場にいる蜘蛛は、この家の主人を逃げ出す必要のない相手と見定めているのかもしれない。
まあ、たしかに、私の方も、これからの私の居場所である洗い場からゆっくり退散してくれた奴に対して、そいつにシャワーの熱い湯など当たらぬように気を付ける、ぐらいの仁義はある。
ところで、そいつはどうやらイエユウレイグモという名前であるらしい。
漢字で書くと
家幽霊蜘蛛
というのであろう。
家の図鑑には、目が八つある、と書いてある。
幽霊はみたことがないので別に怖くはないが、目が八つもある幽霊は怖いだろうと思う。
しかし、蜘蛛は目が八つだろうが六つだろうがいっこうこわくない。
だからと言って、風呂場に蜘蛛を飼っているなどといえば女の方たちのひんしゅくを買いそうである。
ところで、邑井氏や前野氏には高校時代「カンダタ」というあだ名を付けられた同級生がいた。
それは単に同級生の名字が「神田君」であるというだけで付けられたあだ名であるらしいが、友人に「カンダタ」と名づけるのはあまりにちょっとかわいそうだろうと私が言うと、
「あいつは金にこまかいから、それでいいのだ」
と当時の邑井君はすまして答えていた。
ちなみに「カンダタ」というのは、言うまでもないことだが、芥川の「蜘蛛の糸」に出てくる、自分が助けた一匹の蜘蛛の糸にすがって地獄から極楽へ上るとき、自分の下にたくさんの人がぶら下がっているのを見て
「この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちは誰に尋いて上って来た。下りろ、下りろ」
と喚いたとたん地獄にふたたび落ちてしまうあの
人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥棒
《犍陀多(かんだた)》のことである。
・・・などということを思い出したのは、若い頃昆虫採集に熱中しその間何千という虫を殺してきていたにもかかわらず、私が、こと蜘蛛に関しては、これまでほとんど殺したことがないのは、どうやら子どもの頃読んだこの「蜘蛛の糸」の話がとてもこわい話として深く胸の中にあるせいではないかと思ったからだ。
そしてそれは私に限ったことではなく、芥川龍之介のおかげで、日本人というのは、世界で一番蜘蛛を殺すことに躊躇を覚える国民になっているのではないかしらと思ったりする。
というわけで、日本国のわが風呂場のクモものんびり生きておるよう。
そして、私は、といえば、クモ君に仁義を切って、今から、朝風呂です。
追伸
そういえば思い出したが、前野氏たちには、その来歴は不明ながら「カンガン」などというとんでもないあだ名の友人もいたなあ。
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