熟読玩味
彼女が頸かしげると
彼女の耳朶(みみのは) 陽に透きました。
― 中原中也 「羊の歌 Ⅲ」―
日曜日の朝、女の子が勉強をしに来る。
彼女は九歳ではなく十五歳。
こないだ誕生日を迎えたばかりだ。
彼女、自分が十五歳になったことをずいぶんイバッテいた。
受験は、もう、すぐそこだから、私がことさらに教えることはもうなにもない。
彼女はコタツに座って分厚い過去の入試問題を解いている。
私はその向かいに座って、コーヒーを淹れ、コーヒーを飲み、新聞を広げる。
書きものをする。
机の上には彼女の大きなピンク色のペンケース。
ピンク色のシャーペン、ピンク色の消しゴム。
定規も、そしてコンパス(!)までピンクだ。
彼女は頸をすこしかたむけて、真剣な顔を見せて問題を解いている。
耳に柔かな髪がかかっている。
晴れて風もない部屋の窓は開け放たれている。
冬の陽ざしが奥まで射しこんで部屋は明るい。
しばらくして一つの教科の問題を解き終えた彼女は、答え合わせをした後、わからなかったところを私に尋ねる。
私はそのとんでもない解答におもわず笑いながら正しい答えを教える。
ふたたび彼女は問題を解き出す。
しずかであたたかな冬の日曜日だ。
中原中也の詩にこんな詩がある。
私がもっとも好む詩の一つだ。
羊の歌
Ⅲ
九歳の子供がありました
女の子供でありました
世界の空気が、彼女の有(ゆう)であるやうに
またそれは、凭(よ)つかかられるもののやうに
彼女は頸(くび)をかしげるのでした
私と話してゐる時に。
私は炬燵にあたつてゐました
彼女は畳に坐つてゐました
冬の日の、珍しくよいお天気の午前
私の室(へや)には陽がいつぱいでした
彼女が頸かしげると
彼女の耳朶(みみのは) 陽に透きました。
私を信頼しきつて、安心しきつて
かの女の心は蜜柑の色に
そのやさしさは氾濫するなく、かといつて
鹿のやうに縮かむこともありませんでした
私はすべての用件を忘れ
この時ばかりはゆるやかに時間を熟読玩味しました。
もちろんこれは「女の子」でなければならない。
去年の男の子ばかりのときにはこんな詩のことは少しも思わなかった。
思うはずもなかった。
理由は知らない。
そういうものだ。
そんな昨日とよく似た時間を、かつても、私はあじわっていたのだ。
たとえば、山田さんやなるみさん、あるいは上野さんやあるいは恵理さんたちがそれぞれ十五歳だったころに。
もちろん、私がそんなふうに「時間を熟読玩味」していたことを、私は言いもしなかったし、彼女たちもまた、そんなことは少しも知らなかったろうが。
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