分度器
敵はきみたちを怖れている。きみたちはそのことを裏切ってはならない。
― ルネ・シャール (「詩人であること」長田弘)―
私たちにとってまるであたり前に見えることも初めてとなるとなかなかたいへんなものだ。
去年の秋、その日、4年生の亮太君が持ってきた宿題は分度器を使って角度を測ることだった。
けれども分度器を使いこなすことは実はなかなかむずかしいことなのだ。
ひょっとしたら、それは、大人になった私たち自身にとっても・・・。
ご存知のように、分度器で角度を測るには、まずその中心点を二つの直線の交点に合わせなければならない。
ここがまずむずかしいらしい。
もちろん、そのさい、分度器の下の線が一方の直線に重なっていることも大事なことだ。
ここまでくれば、あとはもう一方の直線と重なっている目盛を読みとればいいだけだ。
しかし、ここに難問が待ち構えている。
なにしろ分度器は物指しと違って90度以外は目盛の数字が二つ付いているのだ。
それが70度なのかそれとも110度なのか、それを見極めなければならない。
そのためには、その角度が直角より大きいのかそれとも小さいのかが自分の中でかわかっていなければならない。
実は角度を測るとき一番大切なのは、自分の中の、その「感覚」なのかもしれない。
さて、新聞によれば、あのサザンも、爆笑問題も、NHKの番組のことで「謝罪会見」とやらをやったらしい。
なんとまあ!
どうやらそれは、自分がはじめに測る際に合わせた直線が政府やNHKが引いた直線でなかったことを反省しているらしい。
それとも、角度を測るべく合わせた自分の「分度器」の中心点がずれていたのか。
つまりは、彼らは自分たちが歌ったり発言したりしたときのその「感覚」がまちがっていましたと言ったらしい。
ほんとうは50度なのに130度と言ってしまった、といったところだろうか。
けれども、ほんとうにそうか。
あなた方が130度に見えたものはやっぱり130度ではなかったのか。
サザンにしても爆笑問題にしても、自ら牙を抜いてみせて、自分たちを怖れている「権力」を持った者たちを「裏切った」のではないのか。
今日引用した本の中で長田弘はこんなことを書いている。
はじめに言葉があるのではない、とシャールはいう。はじめに恐怖がある。ついで、恐怖に対する抵抗。それから、言葉だ。
もちろんそのような「言葉」を言える者はなかなかいる者ではないが。
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