教育
瓶(びん)にさいた青い花
ふびんだけれども、根なし草は枯れる。
今更どうせうぞ。
ねえ、お前、根のない草は
か…れ…る…よ。
―木下杢太郎 「根なし草」-
先日の毎日新聞に
政府は来年度から、小中学校を対象にした「起業家教育」の導入を全国の学校に促す取り組みを始める。
という記事が出ていた。
なんでも、模擬「株式会社」を設立したり、外部から起業家を呼んで話を聞き、子どもたちに「起業家精神」を養うというものらしい。
今の政府のやる「教育改革」なるもののひどさを一々論(あげつら)っていてはキリはないが、まあ、ひどいものだ。
小学校からの英語教育の導入といい、彼らが求めているのは「すぐに結果の出る教育」らしいが、それが苗の成長を早めようとしてかえって苗を枯らしてしまったあの「助長」の故事の中に出てくる親父と同じまちがいだと気づいていないらしい。
教育で大切なことは、大きくなってもものを吸収することができる根を育てることだ。
そして、まともなお百姓さんは苗の育つ土を耕しそこに適度の肥料と水をやるものであって、けっして苗をひっぱたりはしないものだ。
根さえしっかりしていれば、そしてそこに育つ環境さえあれば、人は「起業家」にだろうが「バイリンガル」にだろうが成れるものだ。
ちなみに日本人が英語が話せないのは、そんなものがしゃべれなくても生きていける社会が今の日本にあるからで、海外に出て働いたり外国人と話さなければ仕事ができない環境に置かれればは嫌でもみなその言葉を覚えるものだ。
錦織圭選手や石川遼選手を英語を話すのを見ればいい。
あれは自分が英語ができるようになる必要があると彼らが強く思ったからだ。
そう思える力が「根」というものだ。
それを育てるのが教育というものだろう。
今更どうせうぞ。
ねえ、お前、根のない草は
か…れ…る…よ。
むろんこれは私の英語のことである。
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