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言葉

 

 昨年は大雪や大雨、さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ、家族や住む家をなく した人々の気持ちを察しています。
また、東日本大震災からは四度目の冬になり、放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。
 昨今の状況を思う時、それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくことが、いかに重要かということを感じています。本年は終戦から七十年という節目の年に当たります。
 多くの人々が亡くなった戦争でした。
 各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。
 この一年が、我が国の人々、そして世界の人々にとり、幸せな年となることを心より祈ります。

 

― 今上天皇 「2015年年頭の感想」―

 

たとえば、ここに「放射能汚染」という言葉がある。
あるいはここには「満州事変に始まるこの戦争」という言葉がある。
たぶんこの対極に、「絆」とか、「がんばろう!東北」という言葉があり、「過去の悲惨な戦争」などという言葉があるだろう。
これらは事態を曖昧化し、どこに責任があるか、誰が責任を負うべきかを問わない言葉だ。

天災は、この列島に住む限りある程度仕方がないものであろう。
しかしながら、そうではないもの、すなわち「原発事故」や「戦争」にはその責めを負うべき人間がいるはずである。

天皇は、憲法上、その政治的発言は禁じられている。
だから、たぶんこれはそのぎりぎりの発言なのだろう。
今上天皇の思いは深い。

昨年末から各地の原発の再稼働が承認されていく。
理由はさまざまにあるだろうが、一番大きな理由は、あの福島の事故で、政府の人間も電力会社の人間も誰一人刑事責任を問われなかったからだ。
東京電力がその責任を問われないなら、九州電力も関西電力も、その経営者たちは何を怖れることがあろう。
あまたの人びとの暮らしをめちゃくちゃにして、なおかつその責任が問われないなら、すこしでも利のある方へ邁進する方が「経営者」としては正しいのであろう。
ましてや、その祖父の「戦争責任」を無いものにしたい現首相が、日本を「戦争のできる国」にすることに何のためらいがあろう。

安倍首相はかつて「特別秘密保護法」によって、政府によるマスコミへの介入等があったりしたらという問いに対して
「そんなことがあれば、わたしは首相を辞めますよ」
と興奮気味に発言していた。
彼は自分が首相を辞めることが「責任を取る」ことだと思っているらしい。
この国がとてつもなく息苦しいばかげた国に成り下がってゆくことへ責任が、安倍個人の進退と同じ「重さ」だと思っている。
アホウであろう。

戦争で人が死んだとき首相の辞任などいったい何の足しになろう。
国政をあずかるということの持つ責任の重みを彼はまったく感じてはいないのだ。

彼は食言家である。
彼の言ったことはすべて「嘘」であった。
「福島は完全にunder controlされている」
と世界中にウソを言って平気な男である。
自ら「アベノミクスを是非を問う」、と言って始めた選挙が終わると
「安全保障問題も大きな争点の一つだった」
などと語り得る男である。
自らの発言すら点検できない男に「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくこと」なぞ出来るはずもないのかもしれない。
ますます暗い一年が始まる予感がする。

けれども、こんな首相をいただく国に生きていくうえで、わたしたちが為すべきことの第一は、皆と一緒になって曖昧で、何を言っているかわからないような言葉を使わないということではないだろうか。
すくなくとも、そこに問うべき責任があるとき、けっして曖昧な言葉を使ってはならない。
それが天皇が年頭の発言の言外に言おうとなされたことだと思う。

 

 

 

 

 

 


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