凱風舎
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影響

 

いといと淡き今日の日は
雨蕭蕭(せうせう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡き空気にて
林の香りすなりけり

 

― 中原中也 「修羅街輓歌(しゅらがいばんか)」―

 

朝から雨だった。
新聞を開くと坪内稔典の「季語刻々」に今日は中原中也の忌日だと書いてあった。
そうなのか。
と思った。
詩集の巻末、昭和十二年10月の項に

二十二日未明、急性脳膜炎にて永眠。寿福寺でささやかな告別式を行う。

とあった。
そうか、今日なのか。

 

新聞に載せられていた
中也忌の月がぽっかり海の上      戸塚啓
という句がよい句かどうかはしらない。
ただ、中也の忌日だと知ってそんなポッカリの月を見れば思いは深かろうと思った。
そして、俳句はどうであれ、朝、今日が中也の死んだ日だと知らせてもらったことで、今日一日が意味ある一日になったような気がした。

 

おかげで今日はひさびさ彼の詩集をながく開いてしまった。
もちろん覚えている詩ばかりだ。
外は一日冷たい雨。
ひとり部屋にこもるにはよい日だった。

 

詩とは何のか。
その定義がどんなものかを大上段にふりかぶって語る気持ちはない。
ただ、私に言えることは、私が詩だと思うものとは、もともと私の中にあっったにもかかわらず形を持たなかったものに、明確な言葉を与えてくれるもののことだということだけだ。

その意味で、私が最初に出会った詩は

流れゆく大根の葉の早さかな

という虚子の句だった。
小学校の教科書に載っていたこの句を読んだ時の衝撃を私は今でも覚えている。

中也の詩を初めて読んだのは高校一年の時だった。
もちろん彼の詩が私にもたらしたものは虚子の俳句とはまるでちがった種類のものだった。
けれども、彼が言葉にして書いたものに感応する何かが私の中にあった、という意味では同じものなのだろう。

それよかなしきわが心
いはれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり

 

今日引用した「修羅街輓歌」はこんな四行で終わる。
これは私が高校時代もっとも愛唱した詩句の一つなのだが、もちろん、四十数年前愛唱したこの四行を今もあのときと同じ共感を持って私は唱えたりはしない。
けれども、この詩句を意味あるものと受けとった自分はまだわたしの中に生きている。

人が、ときどき「一冊の本に影響を受ける」と言うとき、それをどういう意味で語っているのか、私にはよくわからない。
ただ、私は自分がまちがいなく中也に影響を受けてしまった人間だということはよく知っている。
そして、それがどういうことであるかも。
けれども、それを人に語る言葉は、私はたぶんこれからも持たないのだろうと思う。

 


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