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心意気

 

 シラノ  うん、貴様たちは俺のものを皆奪(と)る気だな。桂の冠も、薔薇の花も!さあ、奪れ!だがな、お気の毒だが、貴様達にゃどうしたって奪りきれぬ佳(い)いものを俺(おり)ゃあの世に持って行くのだ。(中略)
 他でもない、そりゃあ・・・・・・
 (剣は彼の手から離れ、彼はよろめいて、ル・ブレとラグノオの胸に倒れる)
 ロクサアヌ  (シラノの上に身をかがめてその額に接吻しながら) それは?・・・・
 シラノ   (再び目を開いて、ロクサアヌを認めて、かすかに笑いながら) 私の羽根飾(こころいき)だ。

   ー エドモン・ロスタン 『シラノ・ド・ベルジュラック』 (辰野隆・鈴木信太郎 訳) -

 

  心意気なのだと思う。
 あの原発の火災に立ち向かい、自らの危険もかえりみず高度の放射能の中で放水や外部電源の取り込みに従事している人たちだけではない。被災地の瓦礫を取り除く人々も、劣悪な環境の中で医療や介護にたずさわる人々も、トラックを運転し被災地に物資を運ぶ人も、各地でパンを、ラーメンを、紙おむつを、乾電池を、ローソクを量産する工場の人たちも、皆、心意気なのだと思う。スーパーに商品を並べ、銀行を開き、炊き出しをする人たちもまた心意気なのだと思う。
 自分のしていることや、したことを当たり前のことのように思いなすことを「心意気」と呼ぶのだと私は思う。
 それは、自ら、為すべきこと、としたことを当たり前のように行うことをいうのだ。
 心意気とは、シラノの訳者がルビを付けたように、ひょっとしたら帽子に付けたただの「羽根飾」かもしれない。けれどその、「羽根飾」こそが人を人がましくさせてくれるのだと私は思う。
 もちろん私は何も、被災地に直接かかわる何かを為すことが大切だと言っているのではない。自分が今在る持ち場持ち場で、その為すべきことを為している各地の人々もまた目には見えぬが被災地の人々を支えているのだ。被災地以外の地域が十全に機能していてはじめて、そこに向かい被災者を援助しようという行為も活きてくるのだもの。
 心は被災地に向けつつ、自分の為すべきことをちゃんとやっていこうと思う人たちの心意気こそが被災地を本当に支えるものだとということを忘れずにいようと思う。


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